植松聖「障害者抹殺テロ」と共通する「年寄り排除」・・・強まっている社会的弱者排除の風潮

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

   うんざりするといういい方しかない。週刊文春に今週は週刊新潮まで参戦した鳥越俊太郎氏の女性問題疑惑報道のことである。政策も都民もそっちのけで、淫行だとか、厚化粧女だとか、場外乱闘ばかりがヒートアップしている都知事選っておかしくないか。

   これだけは予言しておく。誰が都知事になっても、第2の猪瀬、舛添になることは間違いない。こんな低次元の「ポケモンGO」ならぬ「バカモンGO」選挙などどうでもいい。

   神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」(以下やまゆり園)で起きた障がい者大量殺人事件は極悪非道などという言葉も色あせてしまう鬼畜の犯行である。火曜日(2016年7月26日)早朝に事件が起きたため、週刊新潮はさすがに事件に強いところを見せて3ページ、週刊文春はワイドの1本として突っ込んでいる。だが両誌ともに内容にも切り口にも新味はない。

   1時間足らずの間に職員たちを結束バンドで縛り上げ、死者19人を含む40人以上をナイフや包丁で刺していった。異常なまでの障がい者に対する憎しみがなければ、これほど残忍な犯行ができるわけはない。

   容疑者とつけるのもけがわらしいが仕方ない。植松聖容疑者(26)が大学を出てやまゆり園に入ってきたのは2012年の夏。最初はアルバイトの形で、冬に非常勤、翌年4月に常勤になっている。

   園には「学生時代に障がい者のボランティアをしていた」と志望動機を語っていたようだが、週刊新潮で植松の同級生が彼の本性をこう語っている。<「教職免許を取るために児童養護施設でボランティアをしていたのですが、そこにいる障害者の人たちを話題にして『キモい』『あいつら生きている意味がない』何て言うのです。『お前、それやばいよ』と注意したのですが、度々口にしていました」>

   やがて、その本性をやまゆり園でも隠すことがなくなっていった。今年2月頃、園の関係者に「障がい者を殺す」「ずっと車椅子に縛られていることが幸せなのか。周りも不幸にする」といっていたとスポーツニッポン(7月28日付)が報じている。

   同じ頃、大島理森衆院議長の住む公邸に行き、警備の警察官に今回の犯行を予告する手紙を手渡している。「常軌を逸する発言だとは重々理解しております」と書いてはいるが、常人のものではない。とくに文面(週刊新潮から引用)のここに注目するべきである。

   「障害者は人間としてではなく、動物として生活を過ごしております。(中略)障害者は不幸をつくることしかできません。(中略)今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます」

   植松容疑者がやったことは「障がい者テロ」である。弱者である障がい者に寄り添い、共に生きていくというのではなく、生きていく資格のない者、社会の迷惑者だというおぞましい考え方である。これは最近の「年寄りは早く死ね」「長生きは罪だ」「親に恩義など感じることはない。親を捨てろ」という年寄り排除の風潮と共通するものがあると思う。

   この事件に対して、障がい者施設の関係者たちやボランティア団体から非難の声が上がっているのは当然だろう。障がい者や高齢者を疎ましい者、社会保障を食い潰す怠け者と見做す空気が、植松のような歪んだ人間を生んでしまったと私は思うのだ。そのうち国家による「老人狩り」が始まらないかと、心底心配している。

   大量殺人といえば、昭和13年に近隣住民を散弾銃で殺した「津山三十六人殺し」事件があるが、今回の事件と共通するある『符号』に気がついた。不謹慎だがお許しいただきたい。津久井やまゆり園。「津」「やま」となるのだ。

「鳥越俊太郎記事」どうしても消えない疑問!なぜ選挙中に出したのか?どう考えても落す目的

   さて、鳥越氏報道に戻ろう。今週は週刊新潮がトップで「13年前の被害女性証言記録」とやっている。先週、週刊文春がやった話とは違うのかと思って読んでみると、同じ話の繰り返しである。週刊新潮ともあろうものが週刊文春の後追いをするのか。往時の週刊新潮を知っている者からすると、残念な記事といわざるを得ない。要は、週刊文春がやった話は、当時、週刊新潮が追いかけていて、告白した男性と被害にあったA子さんのインタビューもしていたというのである。

   コトの経緯は先週のこの欄を読んでいただけばいい。週刊文春より詳しいのはこの部分である。未成年で大学生だったA子さんは、憧れていた鳥越氏に誘われ別荘に行き、何もしないからと一緒の部屋に寝た。すると鳥越氏は強制的に彼女を全裸にさせ、コトにおよぼうとしたというのだ。だが、週刊新潮も「最終的に行為は未遂に終わった」と書いている。

   取材したが掲載しなかったのは、A子さんと男性が締め切り近くになって「記事にしないでくれ」と強く希望したからだという。今回、週刊文春の後追いのようなことをしたのは、週刊文春報道で「その封印は解かれた」(週刊新潮)ためと、鳥越氏が都知事にふさわしいかどうかを都民に判断してもらうために掲載したというのだ。

   週刊文春も今号で「鳥越淫行報道のすべての疑問に答える」という特集を組んでいる。推測するに、かなりの批判の声があったのではないか。週刊文春側のいい分を掻い摘まんで紹介しよう。選挙中にこうした記事を出したのは、都知事候補は公人中の公人であるから、その資質が問われる事実がある以上、報道する公共性、公益性があると判断した。政治的な背景はない。当選させない目的で記事を掲載したのではないから、選挙妨害には当たらない。

   行為は未遂に終わった、キスしただけで淫行というのはおかしいというネットやジャーナリストもいるが(私もそのひとりだ)、<小誌が事実として把握していて、記事には敢えて書いていないことも少なくない>と、こっちはもっと大変な事実を握っているのだが、A子さんを2度傷つけることになるから配慮したのだと仄めかす。

   週刊新潮も同じような鳥越氏批判をしている。鳥越氏はジャーナリストなのに、なぜ事実無根とだけしかいわないで告訴というジャーナリストにあるまじき手段をとったのかと、彼のジャーナリストとしての資質を問うている。何人かのジャーナリストやヤメ検を出して「報道擁護発言」もさせている。

   まあ、予想通りの反論記事である。だが、どうしても消えない疑問は、なぜ鳥越氏なのか、なぜ選挙中に出さなければならなかったのかである。選挙中はテレビ、新聞も有力候補の取り上げ方は公平にというのが原則である。スキャンダルも公平に書くべきではないか。なぜ13年前の女性問題なのか。都知事になる可能性があるからそうした負の情報も選挙民は知るべきだというが、資質を問うのなら鳥越氏が万が一都知事になってからでも問えるではないか。

   告発した男性とA子さんの気持ちはわからぬではないが、この週刊文春と週刊新潮の記事は特定候補を落とす目的で作られた選挙妨害にあたると、私は考える。

   高名なジャーナリスト氏たちが、取材した事実を読者に提供するのはメディアとしての責任、言論の自由があるから、選挙中に報道しても構わないといっている。言論・報道の自由がある、ジャーナリストだったら言論で勝負せいというのは、スキャンダルを報じたメディア側の常套句だが、言論の自由はメディア側に理性、良心があることを前提にしているはずである。

   私が見たところ、週刊文春報道を批判したのは日刊ゲンダイぐらいしかないようだが、都知事選が終わった後に、この問題はメディア同士で論議を戦わせ、十分に検証しなくてはいけない大きな問題だと思う。

   鳥越さんは今頃、都知事選なんて出なきゃよかったと思っていることだろう。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

姉妹サイト