大橋巨泉「アッパレ人生」高視聴率番組連発しCMで会社再建!最期は「3・9」

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   永六輔さんに続いて今度は大橋巨泉さんだ。12日(2016年7月)に亡くなった。82歳だった。「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとハウマッチ」「ギミア・ぶれいく」などの司会を担当し、ウイットと毒舌、斬新なアイデアでテレビ文化を築いた。

   05年に胃がんを発症して胃の半分を摘出。13年に中咽頭がん、14年にリンパ節や肺に転移し、今年2月には左の鼻腔転移も確認されていた。その放射線治療の苦しさを、TBS系「関口宏の人生の詩」で「もう1度やるかと言われたらやらない、死んでやるよ」と話していた。妻の寿々子さんがメッセージを寄せた。「どうぞ大橋巨泉の闘病生活にアッパレをあげてください。約11年間の闘病生活を勇敢に戦ってきました。とくに4月からの3か月間は死を覚悟し、すべてを受け入れ、ひと言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました」

   最後は「ありがとう」と口を動かし、指で3と9を作り「サンキュー」と示して息を引き取ったという。今月7日に亡くなった親友の永六輔さんについては、ショックの大きさを考えて伝えなかったそうだ。

大人の遊び猛勉強して「11PM」自ら司会

   日本で初めての深夜のワイド番組となった「11PM」(日本テレビ系)ははじめは放送作家として参加した。しかし、競馬やマージャン、ゴルフ、釣りなど大人の遊びを語れる人がいない。そこで猛勉強して自ら司会者になった。巨泉時代の始まりだ。ここで口走った「ボイン」「ウッシッシ」などは流行語となり、CMの「はっぱふみふみ」で不振のパイロットを生き返らせた。

   そして何と言っても「クイズダービー」(1976年)だろう。メインの回答者の誰が正解するかを別の回答者が当てるという斬新さ、回答者にオッズ(正答賭け率)を付けて盛り上げ、最高視聴率40.8%をあげた。「ギミア・ぶれいく」(89年)ではビートたけしら大物芸能人をずらりと並べて見せた。男性出演者はほとんど呼び捨て、女性はちゃん付けだったがなんの違和感もなかった。

   これらの番組から、竹下景子ら数々のスターも生み出した。北野大、井森美幸、はらたいら、関口宏、藤子不二雄A、森光子、石坂浩二、小倉智昭、河野洋平、筑紫哲也、上岡龍太郎、石川好、高市早苗、山口美江らだ。

原点は「敗戦」なにより尊んだ自由、個人、平和、民主主義

   1990年に突然セミリタイアを宣言して、一部を除いてすべての番組から降りた。夏はカナダ、冬はオーストラリアとニュージーランド、春と秋は日本という生活。01年に民主党から参院選に出て比例でトップ当選したが、党議拘束を嫌って半年で辞職した。その後は「週刊現代」などのコラムで、民主主義の後退に警鐘を発し続けていた。

   けさ21日の朝日新聞は巨泉さんの原点は「敗戦」だったと書いている。国民学校6年の11歳の時に迎えた敗戦で、軍国少年は目標を失った。「価値観が180度変わる体験は二度としたくない」と、自由、個人、平和、民主主義を尊んだ。参院議員辞職も原点回帰だったという。

   司会の夏目三久「去年ご一緒したんですが、すべてを見透かされているような鋭い目が印象的でした」

   竹内薫(サイエンスライター)「うちの父親と同世代です。父も軍国主義から自由主義になったから、(巨泉さんの気持ちは)わかります。自由を尊ぶ、村社会を排する、参院議員を辞めたあたりにも心情を感じます」「70年代、80年代はどのテレビにも出ていましたね。まさにビッグ。最後に3と9を示してサンキュー。あっぱれですね」

   夏目「常日頃、後悔のないようにと言っていました。生ききった。後日、偲ぶ会が開かれるということです」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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