熊本地震から3か月、なお続く余震に加えて梅雨の大雨が被災地で新たな脅威になっている。地震に持ちこたえた建物が土石流で押しつぶされる。住宅地の裏の緩斜面が崩れ落ちる。避難勧告や避難指示は連日だ。南阿蘇村の現状を専門家は「日本の将来への警鐘だ」という。
現地調査を行った熊本大の鳥井真之特任准教授は、土砂災害の危険が刻一刻と広がっていると見る。災害前に作られたハザードマップで危険とされていた場所以外のところに、いくつもの土石流が記されていた。「地震との複合災害と考えるのが自然です」
「ポジティブ・フィードバック現象」熊本・大分でもダブルパンチ
緩やかな斜面でも地滑りが起こるメカニズムを、京都大の釜井俊孝教授は「ポジティブ・フィードバック現象」と呼ぶ。火山灰に含まれる軽石層が原因だ。軽石層は水分を多く含むため、地震で軽石層が潰れると吹き出した水が潤滑剤となって表層を滑らせる。さらに大雨が被害を拡大させる。
同様の火山灰地質は全国各地にある。九州東部、山陰、関東甲信、東北山地から北海道南部、さらに根室地方など。要するに火山だ。南阿蘇村はむろん阿蘇山がこの地層を作った。
肉用牛20頭を飼育している畜産農家は、地震で自宅が半壊して親戚の家で避難生活をしているが、牛の世話に毎日通ってくる。そのつどあたりの様子が変わっている。「家の裏の崖が新たに崩れました。地震では崩れなかったのに」。そう話す間にも、避難指示の警報音が携帯電話で鳴る。牛舎には先ごろ生まれた子牛がいた。「見捨てるわけにいかないからね」
長岡造形大の澤田雅浩准教授は「地震から3か月。普通なら復興に向かうところですが、南阿蘇村では地域が持っているもともとのリスク(地質)が、地震によって一層の脅威となっています」という。
南阿蘇村は存亡の危機!橋落ち、道路は寸断、毎日のように避難指示
阿蘇大橋の崩落も南阿蘇村を苦境に陥れていた。45年前の阿蘇大橋の完成は、山間の過疎の村を年間600万人が訪れる観光地に変えた。ペンションができ、東海大の阿蘇校舎ができた。橋に近い住民の多くは学生用アパートを経営し、学生数は住民の4倍の800人にもなった。いまはアパートの多くが倒壊して、無残な姿をさらしている。
大橋は熊本市へ通ずる幹線の要だったから、住民は山道を延々と迂回しなければならなくなった。その山道も土砂崩れでしばしば止まる。隣町まで人工透析に通う患者は時に命の危険にさらされる。「なくなって初めてあれがどれだけ大事だったかわかった」と地区の区長・竹原満博さんは言う。
校舎が壊れて、大学は熊本市内の校舎に授業を移し学生たちも移った。村に残って再建に協力したいという学生もいたが、雨のたびに土砂災害の危険にさらされる現状に、竹原さんが説得してあきらめさせた。「学生がいなくなったら地区の存続自体が危うくなる」と竹原さんはいう。
熊本県は下流に新しい橋をかけることを計画しているが、動き続ける大地を前に手が付けられないでいる。澤田さんは「行政は臨機応変の対応が必要。場合によっては、離れたところへ避難するという決断があってもいいかもしれない」という。
熊本出身の社会人野球チーム監督、片岡安祐美さんは「熊本は台風も多いし、雨対策には比較的慣れていたと思いますが、地震からというのは初めてのことですからね」という。しかし、江戸時代の初期に熊本城がぶっ壊れたという記録はある。南阿蘇村もそのとき地震に見舞われたはずだ。むしろ初めてなのは雨の方ではないか。異常気象、ゲリラ豪雨被害は人間が作り出したもののような気がしてならない。