南阿蘇村は存亡の危機!橋落ち、道路は寸断、毎日のように避難指示
阿蘇大橋の崩落も南阿蘇村を苦境に陥れていた。45年前の阿蘇大橋の完成は、山間の過疎の村を年間600万人が訪れる観光地に変えた。ペンションができ、東海大の阿蘇校舎ができた。橋に近い住民の多くは学生用アパートを経営し、学生数は住民の4倍の800人にもなった。いまはアパートの多くが倒壊して、無残な姿をさらしている。
大橋は熊本市へ通ずる幹線の要だったから、住民は山道を延々と迂回しなければならなくなった。その山道も土砂崩れでしばしば止まる。隣町まで人工透析に通う患者は時に命の危険にさらされる。「なくなって初めてあれがどれだけ大事だったかわかった」と地区の区長・竹原満博さんは言う。
校舎が壊れて、大学は熊本市内の校舎に授業を移し学生たちも移った。村に残って再建に協力したいという学生もいたが、雨のたびに土砂災害の危険にさらされる現状に、竹原さんが説得してあきらめさせた。「学生がいなくなったら地区の存続自体が危うくなる」と竹原さんはいう。
熊本県は下流に新しい橋をかけることを計画しているが、動き続ける大地を前に手が付けられないでいる。澤田さんは「行政は臨機応変の対応が必要。場合によっては、離れたところへ避難するという決断があってもいいかもしれない」という。
熊本出身の社会人野球チーム監督、片岡安祐美さんは「熊本は台風も多いし、雨対策には比較的慣れていたと思いますが、地震からというのは初めてのことですからね」という。しかし、江戸時代の初期に熊本城がぶっ壊れたという記録はある。南阿蘇村もそのとき地震に見舞われたはずだ。むしろ初めてなのは雨の方ではないか。異常気象、ゲリラ豪雨被害は人間が作り出したもののような気がしてならない。