「人生は 紙おむつから 紙おむつ」粋で鯔背な永六輔みごとに演じた『マスコミの寄生虫』

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   永六輔さんが亡くなった。享年83。週刊文春で次女の麻里さんが「すごく粋で鯔背(いなせ)でカッコいい父でした」と語っている。鯔背なんて久しぶりに聞いた。デジタル大辞泉によると「粋で、勇み肌で、さっぱりしているさま」。夢は鳶になることだった。

   昔読んだ「大往生」(岩波新書)を引っ張り出して読み返した。出版は1994年だから、私が48のときだ。その時はさしておもしろいとは思わなかったが、年齢が本に追いついたということだろう。こんな川柳がある。「人生は 紙おむつから 紙おむつ」。民俗学者・宮本常一ゆずりの市井の人たちの言葉が胸に響く。

   <俺は歳をとったという不安もあるよ、でも歳をとってないんじゃないかという不安もあるねェ>。わかるな、この気持ち。「今はただ 小便だけの道具かな」。名人三遊亭圓生の句である。老老介護の難しさを訴えたものも多い。<天涯孤独っていう人がいるじゃない、あァいう人がうらやましいわ。呆けた両親を見ていると、老人とかかわらないで一生が終われるなんて最高よ!>

   本の最後にある私自身のための「弔辞」で、自分のことを「マスコミの寄生虫」と自虐的にいいながらこう続ける。<「そんな寄生虫の永さんが、人間らしく過ごしたのはご家族に囲まれていた時だけではないでしょうか。旅暮らしの中で、一番好きな旅はと聞かれ、「我が家への帰り道」と答えた永さんです>

   戦後のテレビを作った真の天才と呼ぶにふさわしい人だった。

   永さんとも仕事をしたであろうザ・ピーナッツの双子の妹、伊藤ユミさんも亡くなってしまった。姉のエミさんはすでに亡い。「シャボン玉ホリデー」の最後に歌う「スターダスト」、「ウナ・セラ・ディ東京」もいいが、私は「大阪の女」が好きだ。中学生の頃、吉永小百合とザ・ピーナッツ、どちらが好きかで友達ととっくみあいのケンカをしたことも懐かしい思い出である。

日ハム斎藤佑樹「ハンカチ王子」から球界の舛添要一に転落!出版社社長にポルシェやマンションおねだり

   ハンカチ王子と騒がれた日ハムの斎藤佑樹(28)の噂をとんと聞かなくなったが、今週の週刊文春が「汚れたハンカチ『ポルシェ800万円』『高級マンション』おねだり」と巻頭でやっている。斎藤はプロ入り5年で14勝。ライバル視された田中将大は今や大リーグ・ヤンキースのエース格である。プロ入りしてこれほど明暗が分かれた選手も珍しいのではないか。

   その斎藤だが、私生活では出版社社長にたかって高級車やタワーマンション暮らしだというのである。その出版社とは「週刊ベースボール」などを出しているベースボールマガジン社。ここは1946年に故池田恒雄氏が創業した。野球やプロレスなど多くの競技専門誌を出し、スポーツ誌王国を築いた老舗出版社である。

   現在そこの社長を務めるのは息子の哲雄氏で、斎藤にポルシェを提供した人物だそうだ。<「去年の春先に、社長と斎藤はポルシェ銀座店を訪れました。シートの仕様や色をカスタムしたそうです。夏に納車されると、斎藤の父親が受け取りに来ていました」(ベーマガ社の社員)>

   斎藤は池田社長にこうねだったという。<「鎌ヶ谷の二軍練習場に通う車が欲しい。札幌には車があるけど東京にはないから。池田さんなら、なんとかなるんじゃないですか」>

   斎藤がほしがったのはポルシェSUVタイプの最高級車だったが、価格は2000万円を超えるものもあるのでマカンになったそうだ。ベーマガ社の関連会社でリースして斎藤に又貸ししているという。1年目のオフには、池田社長が自宅として使っていた月島の高級タワーマンションに住まわせてもらっていたそうだ。池田社長は週刊文春の取材に対しておおむね認めているが、斎藤は商品価値があるから社員たちも納得しているという。

   だが、実はベーマガ社の経営は火の車だというのである。2013年には経営悪化から30人超がリストラされ、今年1月(2016年)には本社ビルを売却。貸しビルに移ったが、それでも経営は好転せず、今年1~5月期は1億円を超える赤字を出しているという。池田家の関係者はこう嘆いている。

   <「恥ずかしい限りですが、哲雄は本当のことをあまり言わないので、ポルシェのことは初耳ですが、斉藤君の人間性を疑いますよ。ベーマガは王(貞治)さんや長嶋(茂雄)さんにもお世話になりましたが、物をねだられたことはありません。

   初代の恒雄社長は『スポーツマン精神を忘れるな』とよくおっしゃっていました。社員をないがしろにして選手にそんなことをしてはいけません」>

   ボルシェを受け取りに出向いた斎藤の父親・寿孝氏はこう話す。<「別にお金が無くてたかりに行ったわけではなくて、安易な気持ちだったんだろうと思います。ただ子供たちから羨望の目で見られている職業ですから、色々な面で誤解を受けるようなことがあれば舛添さんになってしまいますから。すみませんでした」>

   ハンカチ王子から球界の舛添か。今の斎藤の球速では中継ぎでも抑えることは難しいだろう。高校野球の季節である。甲子園を沸かせたヒーローがプロに入って鳴かず飛ばずになるケースはいくらでもある。大事なのは、その辛い中で何を学び次のステップにしていくかということであろう。斎藤には酷なようだが、そうした姿勢も伺えないようだ。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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