「永六輔」最後までラジオ人・・・「スタジオでしゃべりたいなあ」病室で録音

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

   テレビ文化の黎明期から放送界を引っ張ってきた永六輔さんが七夕の7日(2016年7月、肺炎で亡くなっていた。83歳だった。放送作家、タレント、作詞家、エッセイスとなんでもござれの才人だった。

   TBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」の今年2月1日に行われた病室での収録が最後の出演となった。この中で「本当はスタジオにいたかった」「手術して退院できるでしょう」と弱々しい声だったが、アシスタントの外山恵理アナが「そしたら散歩に行きましょう」というと、「散歩、長峰さん(TBSの以前の担当アナ)とね」と茶目っ気を見せた。

   TBSラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は2013年まで46年も続いていた。

黒柳徹子「きれいなお顔でした。本当に死んでるのって思うくらい」

   亡くなった時の様子を次女の麻理さんは、「前の日もとても元気でしたが、本当にふっと力が抜けたみたいに、息がだんだん遠くなって脈が止まって、苦しむこともなく、『じゃあね』という最期でした」と話した。

   60年来の友人、黒柳徹子さんは亡くなる数日前に見舞っていた。「『永さん』というと、私の顔を見て『わはは』とお笑いになりました。元気だなと。亡くなった顔もきれいでした。本当に死んでるのかなと思って、『死んでますか』とお嬢さんに聞いたら、『死んでると思う』と」

   94年には、老いや死について記したエッセイ「大往生」が200万部の大ヒット。愛妻家でも知られ、14年前に亡くなった後も、毎日書き続けた手紙もまたベストセラーになった。

永六輔作詞の曲も歌った「ザ・ピーナツ」も死去・・・

   その永が書いた歌も歌った双子デュオ「ザ・ピーナッツ」の伊藤ユミさん(75)が、5月18日に亡くなっていたことが同じ日に発表された。姉のエミさんは4年前にがんで亡くなっている。これもまた時代を彩った人だった。

   17歳の59年にデビュー。テレビ「夢で逢いましょう」などで「恋のバカンス」(1963)など数々のヒットを飛ばした。映画「モスラ」(61年)で妖精を演じて劇中歌も大人気だった。

   司会の夏目三久「昭和を代表して駆け抜けたお二人ですね」

   牧嶋博子(TBS報道局解説委員)「私が小さい頃はドリフターズの『全員集合』に時々出ていたのと、映画『モスラ』の歌、意味のわからない歌詞が続くんですけど、意味もわからず歌ってました。色っぽくて、可愛くて、歌も上手で」

   夏目「永さんは放送界の歴史そのものですよね。『上を向いて歩こう』は海外でも知られていました」

   パトリック・ハーラン(タレント)「『スキヤキ・ソング』という名前でしたけど、ビルボードのヒットチャートで3週連続1位になったんです。外国語の歌で1位は7曲しかないいんですが、アジアの曲では唯一です。僕のおじいさんが日本語で歌える」

   坂本九にしてもザ・ピーナッツにしても、スタジオの若手には知らない人たちだろう。誰でも知っていていて、残っているのは黒柳徹子さんくらいか。黒柳さんも寂しいだろうな。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
姉妹サイト