鳩山邦夫元法相「暴言・放言・失言」死刑執行は自動的に進むようにしたい

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   とかく発言が物議を醸した鳩山邦夫元法相がおととい21日(2016年6月)に亡くなった。67歳の若さ。十二指腸潰瘍だった。兄の鳩山由紀夫元首相は「何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは・・・。兄として寂しい限り。運命のいたずらでときに意見を異にすることもあったが、私には常に目標であり自慢の存在でした」とコメントを出した。2週間ほど前、都知事選出馬を打診したが、固辞しされたという。

   鳩山氏は祖父が鳩山一郎元首相、父が威一郎元外相、兄も元首相で、自らも衆院議員を13期務めて、文相、労相、法相、総務相を歴任した。母親はブリジストンの創業者の系譜で、兄弟の政治資金を賄うなど、庶民とはかけ離れた話題も多かった。

舛添都知事当選で祝福メッセージ「心から期待する」

   しかし、話題になったのは何といってもその発言だ。「友人の友人がアルカイダです」「いとこのいとこのひいおばあさんが坂本千鶴さん、龍馬の姉さん」「私は白い鳩だが、兄は黒い鳩」などなど、脈絡のわからない発言がしょっちゅうメディアを賑わせた。

   法相の時には、死刑執行の決済が法相に委ねられていることについて、「法務大臣がからまなくても、自動的に客観的に進む方法を考えたらどうか。法務大臣におっかぶせるんじゃなくて」と言って、死刑廃止論者などから攻撃された。

   一方、裁判員制度のPRでは着ぐるみを着たり、総務相の時には東京中央郵便局の局舎立て直しで古い建物の外装を残せと指示したが、視察に訪れたら壊されていたのを見て「壊してるじゃないか。誰だ壊したのは」と激怒するなど愛嬌もあった。

   東京都知事を辞職した舛添要一氏と東大法学部の同期で、卒業後、田中角栄元首相の秘書を務めた後1976年の衆院選で初当選。以来議席を守ってきたが、自民党を出たり戻ったりで「政界渡り鳥」とも呼ばれた。

   99年には都知事選に出馬したが、石原慎太郎氏に敗れて2位。3位が舛添氏だった。舛添氏との交流は続き、09年の衆院選では、応援に来た舛添氏(当時厚労相)を「総理大臣にしたい男第1位」と持ち上げ、「舛添総理だったら鳩山邦夫副総理でいいですから」。その舛添氏が出た14年の都知事選では、ブログに「彼が立派な都知事になってくれると心から期待する」と書いていた。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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