大阪池田小の子供たち「恐怖体験」乗り越えて15年・・・「死んだ同級生の分まで本気で生きていく義務に気付いた」

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   大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で幼い命が奪われ、重軽傷を負わされた事件から6月8日で15年を迎えた。亡くなったのは2年生の女児7人と1年生の男児1人の計8人だった。重軽傷を負わされたのは児童13人を含め、あってはならないむごい事件を体験した児童は219人。これら子どもたちはいま20歳を過ぎ社会人として第一歩を踏み出そうとしている。

   連絡先の分かった5人が、事件当時の模様、心に残った恐怖、恐怖を克服したきっかけなどを語った。

罪悪感にさいなまれた日々「誰かが身代わりになってくれた」

   事件が起きたのは2001年6月8日午前10時10分ごろ、2時間目の授業が終わりかけた直後だった。校内に侵入した宅間守元死刑囚(04年死刑執行)に刃物で襲われた。早めに授業が終わり、教師のいなかった2年南組で5人、まだ授業を続けていた2年西組で8人、さらに2年東組で4人、最後に1年南組で4人、計21人の幼い子どもが次々と刺された。

   重傷を負った2年東組にいた村田洋子さん(22)=仮名=は次のように事件当時を振り返る。「男が教室に入ってきたのは覚えています。逃げようと思った時にはもう刺されていたっていう感じでした。多分、後ろ向きで刺されたんです。傷は背中に長く、右横腹を貫通していたんです。その時は痛みがすごくてズキズキして、脈が分かるぐらいでした。担架が足りず、長机に乗せられて病院に運ばれました」

   2年東組で脇腹を刺された岩藤愛さん(22)は「何か怖いこと、大変なことが起きた。血が出ているし、さっきの人が戻ってくるかもしれないから隠れた方が良いと考え、友だちと2人で教壇の中に隠れました。それからの時間がとても長く感じましたね」と語る。

   男は間もなく校長らに取り押さえられ現行犯逮捕されたが、子どもたちが受けた恐怖は心の中に焼き付けられた。村田洋子さんは助けられた時の様子を後で知り、罪の意識にかられたという。「亡くなった本郷(優希)さんが乗るはずだった救急車に私が乗った話を母から聞いて、自分はその子の犠牲で助かったという気持になったんです。でも、そういう感じで受け止めていたら、優希ちゃんのお母さんに申し訳ないと・・・」

   2年南組の小島千晶さん(22)は事件後、1年近く塾の帰りなどで誰かに襲われるという恐怖にさいなまれたという。「家の近くに塾があって、そこから家に帰るまでがすごく苦痛でした。後ろから誰かついてきているとか、親や弟が殺されているみたいなことを想像したり、それを親に言えないのが一番しんどかった」

   事件の後、子どもたちのサポートを担当した武蔵野大学の小西聖子教授(臨床心理士)に、鎌倉千秋キャスタ―が「事件から15年。大人になった子どもたちの言葉をどう聞かれましたか」と聞く。「すごく胸に迫るものがあります。体験をしたことをどう感じたのか、本当によく話してくれました。無感情になったとか、誰かが身代わりになってくれた罪悪感とか、よく話せたという感じですね」

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