当たりまくり日経新聞の競馬記者!12レース中11レースで「本命・対抗」1着

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   今週の日曜日(2016年5月22日)は3歳牝馬の祭典「オークス」だ。私同様競馬が当たらなくて困っている諸君に朗報か。週刊ポストによれば、日本経済新聞の競馬記事が当たるというのである。競馬記者・野元賢一氏がその人。1964年生まれで東大法学部を卒業後、毎日新聞に入ったが、どうしても競馬がやりたくて「ラジオNIKKEI」のある日経に途中入社したというのだから、相当な競馬好きである。

   彼は厩舎回りもしないし、お付き合いで親しい厩舎の馬を大穴にしたりはしない。彼は日頃から「競馬記者の仕事は、最終的に自分が責任をとる覚悟を持たないといけない」といっているそうだ。その言やよし。<「全国紙の日経は大穴を狙う必要もないため、本命を中心とした堅実な予想になる」(競馬フアン)>

   5月1日に行われた12レース中11レースで、野元氏が本命・対抗にした馬が1着でターフを駆け抜けたという。よし今週は野元馬券で負けを取り返そう。

NHK「ファミリーヒストリー」鳥越俊太郎の家系図まったく別物だった

   NHKに「ファミリーヒストリー」という人気番組がある。著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材して、その人間のルーツを探し出してくれるのだ。昨年(2015年)7月10日の放送ではジャーナリストの鳥越俊太郎氏が取り上げられた。だが、週刊新潮によれば、番組で鳥越氏の家系図だとして出されたのは、まったくのデタラメなものだったというのである。

   鳥越氏の郷里は福岡県うきは市吉井町で、実家は鳥越製粉という製粉会社。その三代目社長・繁喜氏を支えたのが弟で、鳥越氏の父親の俊雄氏だった。番組では鳥越家の親戚だという鳥越市治氏が家系図を差し出し、「家系図に記されたもっとも古い祖先は戦国時代を生きた人物。名は興膳」というナレーションが入る。興膳は戦国大名・大友宗麟の家臣。関ヶ原の戦いで豊臣方についたため不遇の時代を過ごし、その後、鳥越俊太郎氏の曾祖父が鳥越製粉の基礎を築いたと紹介された。

   それを知って鳥越氏は「昔から権力側につかないという気持ちがあったんだな」と興奮気味に語ったという。だが、この家系図は同じ市に住む鳥越俊太郎氏とはまったく関係のない鳥越家18代当主鳥越光氏のものだったのだ。週刊新潮が見た光氏の家系図は詳細なもので、興膳まで正確にたどれるという。光氏から抗議を受けたNHKエンタープライズのプロデューサーと制作会社の女性ディレクターが来て、話し合いをしたが結論は出なかった。そのうえ、帰り際に「穏便にしましょう。これで終わらせましょう」といったというのだ。番組をつくっている連中はお笑いバラエティぐらいにしか考えていないのであろう。さすがに再放送はしないという連絡はあったという。

   だが、今年の2月、朝日新聞に鳥越俊太郎氏が自分の半生を語ったインタビュー記事が載った。そこで鳥越氏は「先祖は興膳だったそうです」と話している。NHK側は抗議があったことを鳥越氏に伝えていなかったのだ。

   呆れるのは、週刊新潮がNHKに質問状を送ったところ、「放送内容については問題ないと考えています」(広報局)という返事が返ってきたことである。さらに、当の鳥越氏も「朝日新聞で興膳に触れたのは、記事を書いた記者の作文でしょう。もちろん私もゲラで確認したから責任がないとは言わないが、私から興膳の話を積極的にしたわけじゃない」と語っている。

   記者が自分のいっていないことを書いたら、ゲラで直すのがイロハのイだ。そのまま載ったら抗議しなくてはいけない。それに、間違ったことを全国へ発信したNHKに抗議し、もう1度番組を作り直させるべきだと思う。鳥越氏は今はジャーナリストではなく、「がん評論家」なのだから致し方ないか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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