「世界のニナガワ」と呼ばれた演出家・蜷川幸雄さんがきのう12日(2016年5月)午後、肺炎による多臓器不全で亡くなった。80歳だった。「スッキリ!!」はおととしに藤原竜也主役の「ハムレット」の稽古風景を放送していた。
とにかく激しい。「ゆっくり言え」「声が汚い。ガマガエル」「バカ、才能なし」。藤原は蜷川さんが発掘し育ててきた逸材なのだが、その鍛え方には妥協も容赦もない。そのくせ、「竜也、崖から落っこちる時は一緒に落っこちるからやんな」と笑う映像もあった。
そのとき藤原さんは「1000本ノックどころじゃない。みんな愛情っていうんだけど、愛情を超えてると僕は思ってる」と笑っていた。訃報にショックでコメントも出せない状態だという。
寺島しのぶ「お前はブスだから誰もが黙る演技力を身につけろと・・・」
俳優からさまざまな声が寄せられた。
渡辺謙「僕にとっては最初の演出家です。よく怒られましたが、その熱さにいつも魂を揺さぶられました。あの情熱を心に刻んで受け継ぎたい」
市村正親「運命を呪います。現実を受け止め、これからは天国からの演出に心を傾けたいと思っています。悔しいです。寂しいです」
藤原、渡辺、市村とも「ハムレット」だ。
蜷川はまた、ジャニーズ事務所のアイドルを舞台俳優として養成もした。「彼らアイドルはね、寝る時間を惜しんで勉強してくる。中途半端なタレントよりはるかに努力家なんです」と言っていた。そのひとり、木村拓哉は「驚きと同時にものすごく悔しいです。少し前に『俺がポシャる前に、もう1度一緒にやろうぜ』って言ってもらったことが、頭から離れません」
二宮和也「本当に強い熱い情熱を持っている方で、お芝居というものを教えてもらいました。本当にお疲れさまでした」
寺島しのぶ「19歳で主役に抜擢していただいたこと。容赦のない灰皿と靴と罵声が飛んできたこと。『お前はブスだから、誰もが黙る演技力を身につけろ』と言われたこと。それでもベルリンで賞をとった時にカーテンコールを授賞式に演出していただいた。感謝しかないです。思いっきり本音が言い合える人がまたいなくなってしまった」
宮沢りえ「天国にいらしても私たちの心にゲキを飛ばし続けてくださいますように」
車椅子、酸素吸入バイプをつけながら演出指示
埼玉・川口市生まれ。20歳で劇団青俳に入団したのが始まりだった。「現代人劇場」を創立して演出家になる。アングラ演劇から現代劇、近松門左衛門からギリシャ悲劇、西欧古典までを奔放に走り抜けた。
おととしに肺気腫などを患い、車椅子、酸素吸入バイプをつけながらだったが、ペースを落とすことはなかった。昨年暮れから体調を崩して入院していたが、病床から演出指示を出し続けた。亡くなる前日に見舞った演出家の野田秀樹は、ベッドの脇に台本が3本置いてあるのを見たという。
蜷川さんの長女で写真家の蜷川実花さんは、インスタグラムに格子越しに花を撮ったモノクロ写真を載せ、「今日、父が逝ってしまいました。最後まで戦い続けたかっこいい父でした。父の娘でいられたことを誇りに思います」と書いた。
司会の加藤浩次「怒る、どなるのは情熱だったり愛情だったりと感じますね」
本上まなみ(俳優)「お芝居は魂のぶつかり合い。それが皆さんの宝物になってるのがわかりますね」
近藤春菜キャスター「通っていた短大の学長が蜷川さんで、演劇科じゃなかったけど授業を受けたことがあります。楽しかった。生徒もキラキラしていましたねえ」
菊地幸夫(弁護士)「年をとるとみんな丸くなるのに、最後まで熱いものを持っていましたね。敬服します」