この15日(2016年5月)の放送で50周年を迎える日本テレビ系の長寿番組「笑点」で、司会を務める桂歌丸(79)が大喜利を引退する。「体力の限界」が理由で、「少し楽をして落語の勉強を」と落語は続ける。
歌丸師匠は「笑点」の第1回から出演しているからまさに50年。最近は足が弱って、移動には車椅子を使っている。日テレには昨年秋に司会を降りたいと伝えたが、「50周年までは生きていろと言われた」と笑わせた。
15日放送分の収録は29日(2016年4月)に行われた。大喜利では、三遊亭円楽が「めでたいな、めでたいな」
歌丸「なんでそんなにめでたいの」
円楽「歌丸師匠の枕元」
歌丸「50周年ですから、ここでぐっと我慢して、座布団3枚」
円楽は楽太郎時代から歌丸をネタにしてきたが、これが最後というわけだ。
楽太郎時代の円楽に許した「私のいじりネタで笑い取れ」
収録後に出演の落語家たちと会見した。歌丸は「若い人についでもらって、60周年、70周年と続けて欲しい」と話す。「噺家になって65年、80歳になります」「ありがたいことに、メンバーがこれから毎月上納金を持ってきてくれる」(笑)
たちまち、「聞いてない」「知らない」「ラーメンじゃダメですか」とツッコミが入った。
「笑点」の初回放送は1966年5月1日で、新聞のテレビ欄には「カラー 新」とあって、立川談志、柳家金語楼、先代の三遊亭円楽、柳亭小痴楽の次に歌丸とある。29歳だった。他の日には林家三平、桂文楽、植木等の名もある。みな故人だ。
12年目の1978年には、アメリカのサンフランシスコでやった。この時は三遊亭楽太郎、林家木久蔵(現・木久扇)も出演している。あるとき「司会はやらないの?」と水を向けられ、「やだあ、面白くないもの。手を上げて司会者の悪口言ってるから面白い。私が司会やったら大変だよ。座布団10枚は1年に1回出ない。厳しいんだから」と言っていた。しかし、05年に5代目の司会者になる。
歌丸と楽太郎の掛け合いは「笑点」の名物だが、きっかけは大喜利でどう個性を出すか悩んでいた楽太郎に、13歳上の歌丸が「自分をネタにしていいよ」と声をかけたことだった。その円楽は会見で「芸の欲がある限りこの人は大丈夫。長生きしてください。笑点を通じて時々『生きてるかあ』って信号を送りますから、『生きてるよ』と言ってください」と涙ぐんだ。
司会者としての遺言「暗い話題に触れるな。残酷、残虐な事件には触れるな」
会見直後に阿部祐二リポーターがインタビューした。「次の司会者に伝えたいことはありますか」
「決して暗い話題に触れるな。残酷、残虐な事件には触れるな。これだけは言いたい」
司会の加藤浩次「体力の限界というけど、しゃべりはしっかりしてますよね」
手嶋龍一(外交ジャーナリスト)「日曜の夕方はNHKでもみんな笑点を見てました」
歌丸は5月だけで12本の公演・高座がかかっている。