このところ私の住んでいる東京・中野区で事件が多い。劇団員の加賀谷理沙さん(当時25)が殺害された事件も私の家から歩いて15分ぐらいのところだし、埼玉県朝霞市で女子中学生(15)が行方不明になり、約2年ぶりに保護された事件の大学生・寺内樺風(かぶ)容疑者(23)と女の子が住んでいたマンションも10分程度のところである。
もともと中野は新宿のヤクザたちのねぐらが多い町で、昔は駅前のサンモール商店街でよくヤクザ同士のドンパチがあった。建ったときは東京一のマンションといわれたブロードウエイも、いまや「まんだらけ」に代表されるオタクの聖地として名高く、世界中からオタクたちが集う『怪しい雰囲気』の商店街になっている。
最近はキリンビールの本社や早稲田、明治などの大学もできて昼間の人口が1万人増えたといわれ、中野駅の朝のラッシュは新宿駅並みである。東京23区で人口密度の一番多い町だが、人口の移動が激しく、私のような土着の人間以外は、近所づきあいもしない人が多い。
そんな町だから目立たないと思って寺内容疑者は移ってきたのかもしれない。週刊文春によると、寺内の家は祖父が大学教授で、一族には高学歴者が多いという。彼も地元の名門・大阪教育大学附属池田中学に合格し、中学の卒業文集では修学旅行の沖縄体験をもとに「沖縄戦の記憶」というレポートを書き、高校の卒業文集には難解な数式を使って「航空機騒音」をテーマにしたレポートを残している。
その後、千葉大工学部へ進学し、2年生の時に大学を自主休学してカナダのバンクーバーに語学留学、米国カリフォルニアで小型機の操縦免許を取得している。経歴だけを見ると、恵まれた環境で学生生活を送っていたように思える。今春、都内の消防設備会社に就職が決まっていて、中野へ移ってきたそうだ。
その寺内が、2年前に埼玉県朝霞市で公立中学に通うA子さん(当時13)を連れ去り、監禁していたことを知る者は誰一人いなかった。A子さんを監禁してからも、大学の2泊3日のゼミ合宿にも参加し、「今年の正月もしばらく帰省していたんです。就職も決まり、今までありがとうと、祖父母の私らに五千円ずつくれて。仲のよい妹とも一泊旅行に出かけました」(寺内の祖母)
寺内が借りた部屋は家賃約7万5000円の6畳1間だが、隣に住む住民も「物音一つ聞こえなかった」といっている。寺内は何度も外出しているのに、長きにわたってA子さんの自由を奪い続けることができたのはなぜか。週刊新潮は、寺内の実家の商売が関係しているのではないかと見ている。
<寺内の父親は防犯設備士という民間資格を持っており、経営する会社の名前は株式会社店舗サポートと言います。(中略)『e-防犯.com』というサイトを通じてアラームや監視カメラといった防犯グッズの通信販売を手掛けているそうです」(近隣住民)>
その中のいくつかがA子さんの監禁に使用されたのではないかというのだ。<「ドアの内側からは開錠できない補助錠や、ベランダのサッシが開けられると感知して受信機に信号を送るセンサー、室内の様子を常に監視することができる監視カメラがそれに当たります。いずれも『e-防犯.com』で扱っている商品なので、息子なら容易に入手できますし、工学部の学生だから扱いにも抵抗はなかったことでしょう」(在阪の社会部デスク)>
そうした装置を使って24時間監視されているとA子さんに思い込ませ、逃げられないとマインドコントロールしていたということはあり得るだろう。だが、A子さんは「秋葉原に行く」と寺内がいって出て行った3月27日(2016年)の午後、必死の思いで部屋を抜け出し、JR東中野駅の公衆電話から自宅と警察に助けを求めたのだ。
寺内はそのことをニュースで知り、逃亡した静岡県伊東市で首をカッターナイフで切り自殺を図って血だらけの状態で発見され、逮捕された。A子さんは連れ去られたときより5センチ背が伸びていたという。
乙武洋匡・妻「私はなぜ謝罪したか」主人の世話から解放される時間欲しかった
週刊新潮で「5人不倫」を報じられた乙武洋匡氏がネット上で謝罪文を掲載したのだが、そこに妻・仁美さんの詫び文もあったため、「なぜ妻が詫びるのか」「選挙目当てではないか」と火に油を注ぐことになってしまった。参議院選挙の目玉候補にという思惑で乙武擁立を目論んでいた自民党は、この不倫スキャンダルで乙武氏の爽やかなイメージが泥にまみれたと判断し、公認はしないと彼を切って捨てた。
乙武出馬の目はなくなったようだが、妻の許しは得られるのか。女性自身が乙武氏の実母にインタビューしているが、その怒りはものすごい。<「世間には立派な男性がたくさんいるのに、息子はひどいものです。浮気したうえに、愛人が何人もいたなんて馬鹿なことを堂々と宣言するなんて最低のことで『まとも』ではありません。
いったい息子は何を考えているのか・・・。(中略)
悪いのは息子で、お嫁さんにはまったく非がないのに、彼女にも謝らせるなんて、とんでもないことです・・・。(中略)
それでも、2人が末永く夫婦でいてくれて、添い遂げてくれればと願うばかりなのです」>
やはり母ならばこそである。週刊新潮は先週載せなかった乙武氏が「恥ずかしげもなく」(週刊新潮)語っていた部分を掲載している。<「(20代後半の美女との不倫関係が始まった)3、4年前だったと思いますが、車の中で妻に突然、『外で子供だけは作らないでくださいね』と言われた瞬間がありました。あまりに衝撃的すぎて、自分が何と返したかあまり覚えていないんですが、不倫がバレているな、と。(中略)
妻は私が他の女性と親しくすることに無頓着と言いますか、皆さんには理解し難いところがあると思います」>
だから浮気をしたといいたいのか。週刊文春はその妻とメールでやりとりした内容を掲載している。「言いたいことはあるのですが」と取材を受けることは断っているが、謝罪コメントが言葉足らずで誤解されてしまったかもしれないので、そこだけは説明させてくれと前置きして、乙武氏との新婚生活についてこう綴っている。
<「多くの方は、乙武は自分ひとりで何でも出来ると思っているようですが、彼は一種一級障がい者です。
二十二歳で結婚した時、彼と暮らす事の難しさを理解していたつもりではいましたが、実際、自宅のドアを開けることも出来ない彼との生活は、決して楽なものではありませんでした」>
風呂にも自分では入れない、トイレを終えても拭くことができない、子供のおむつも替えることができない乙武氏は、妻にとっては4人の子供がいるのと同じだっただろう。
<「子どもが生まれてからは、私自身が子育てに精一杯で、心身ともに疲れきっており、主人の世話から少しでも開放される時間が欲しいと思ったのは事実でした」>
夜遅く帰ってきた乙武氏の世話や夜の営みを求められても体が持たない。そこで彼女はこういったという。<「子どもは朝が早いので、午後十時を過ぎたら、スタッフのいる事務所に泊まって欲しいとお願いしていたのは私の方です」>。それをいいことに、夫は20代の女性を事務所に住まわせていたのだ。彼女はそうしたいい方が夫を浮気に走らせてしまった原因の一端としてあるので、それを反省していると詫び文に書いたのだという。今後のことはわからないが、夫がどんな選択をしたとしても、向き合って生きていくつもりだと語る。<「世間が叩く以上に、すでに私が主人を叩けるだけ叩いておりますので、どうか許してやってください」>
乙武はいいカミさんを持ったと思う。こんなカミさんをもう一度裏切ったら罰が当たる。とまあ、わが身は振り返らず、いわせていただこう。