町の再興を若い人に任せた宮城・女川
14・8メートルの津波で壊滅した宮城・女川町を再訪した笠井信輔(ニュースデスク)はその変貌ぶりに驚いた。昨年できた女川駅からきれいな商店街が開けていた。街路は坂になっていて、海を見下ろす形だ。土地をかさ上げして、その上に町を再建したのだった。
笠井「驚いたことに、ダイビング・ショップがあるんですよ」
店主は「すごく魅力のある海なんです」という。訪れた一人、高松康雄さん(59)はいまも不明の妻祐子さん(当時47歳)を探し続けている。3年前から120回は潜ったという。「海に潜るのは墓参り」
宮城・南三陸町もまた別世界になっていた。いたるところに高台が作られていた。23・9メートルの波に43人がのまれた防災対策庁舎の鉄骨の残骸は、平地の真ん中にボツンと残っていたはずが、台地からは見下ろせる。ここでもひとり、漁師を選んだ若者がいた。高橋勝寛さん(20)は「最年少」と笑っていたが、津波の光景は忘れない。「時々怖くなる」
司会の小倉智昭「海との向き合いは人それぞれです」
笠井「南三陸がいちばんかわりましたね。グランドデザインは国立競技場を手がけた隈研吾さん。商店街の高さは10メートル、防潮堤は8・6メートル。商店街の方が高いので、町から海が見えます。もう一つの女川も防潮堤を作らず、海が見えます。気仙沼は防潮堤の高さで合意できずにいます。ところによって大いに隔たりがあるんです」
小倉「女川は若い人たちに任せたんですよね」
ショーン・マクアードル川上(経営コンサルタント)「これからの生活に対する不安が意見の違いを生んでる気がしますね」
小倉「思いはそれぞれですが、少しづつですが前に進んでいます」