5年たっても八方塞り「福島原発被害地区」放射能汚染土の山、自宅は帰還困難

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   東日本大震災・福島原発事故から5年がたった。司会の小倉智昭は福島にいた。東京電力・福島第1原発の放射能汚染被害はいまだ拡大しているという。スタジオに放射能汚染土・ゴミの数量を示すパネルがあった。「12都府県で約17万トン」とある。福島には14万2139トン。ゴミを入れた黒いフレコンバックが2200万袋もある。東京ドームの16倍だ。

廃炉作業現場で毎日150トン増え続ける汚染水

   2万人がいた浪江町にいま人はいない。死者150人、不明132人。ここを原発の放射線が襲った。町は震災のときのまま凍りついていた。海沿いのがれきは片付けられ、何もない中に1か所だけ煙突から煙を上げる建物がある。除染廃棄物を焼却した灰を集積している。昨年6月(2015年)から24時間稼働している。

   内部はフレコンバッグでいっぱいだった。毎日増え続けている。汚染が10万べクレルを超えるものは中間貯蔵施設に送られるのだが、いまだに1袋も送られていない。大熊町と双葉町の中間貯蔵施設(といっても仮置き場)が地権者との交渉が難航して、必要スペースの1%しか確保できていないからだ、大熊町の62%が帰還困難区域で、通りを歩いているだけで測定器の警報が鳴る。

   双葉町から小倉は福島第1原発を望んだ。巨大なブルーのタンクが建ち並ぶ。すでに1000基にもなり、毎日150トンの汚染水が増え続けている。「5年でこれだけ。あとどうなるんだろう」と小倉。原発では廃炉作業も含め7000人が働いているが、被曝限界に達してベテランがいなくなった。作業員は素人ばかりという。これも先が見えない。

   双葉町は96%が帰還困難区域だ。地震と津波で全半壊した家屋はそのままで、伊澤史朗町長も自宅に入るには防護服だ。先月公表された町民アンケートでは、「戻りたい」は13.3%、「戻らない」が55.0%だった。それでも以前より「戻りたい」が増えたのだそうだ。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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