女は強い!スキャンダルにめげないしたたか処世・・・四女四様「私の人生」

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   とかく男女の仲は難しい。議員辞職した宮崎謙介氏はこれからも茨の道だろうが、不倫していた女性は『週刊現代』を始め多くの週刊誌にSEXYな肢体を晒し、『週刊文春』のインタビューに堂々と答えている。つくづく女は強い。

   今週の週刊文春は宮崎氏に「二重婚約」疑惑があると続報。A子さんは宮崎氏が議員になる前の2011年に知り合い、宮崎氏が猛烈なアタックをかけ、和歌山県の熊野那智大社に1泊旅行に出かけたとき、「すごいタイプなんだ。一緒になろう、結婚しよう」と迫ったという。

   彼女にはやりたいことがあったが、宮崎の妻になることを決意し、仕事も辞めてしまった。だが、宮崎氏がめでたく議員になってからはなかなか会うこともできなくなったようだ。そして、A子さんは金子恵美子衆議院議員と宮崎の結婚を新聞報道で知るのである。彼女は愕然とし、宮崎に連絡を取るが梨の礫。いまだに説明も謝罪もないとA子さんの親友が憤ってる。こんな男と出会ったのが不幸で、結婚しなかったのがせめてもの救いだと慰めても、彼女は納得しないだろうな。

桂文枝と20年不倫!演歌歌手・紫艶「師匠を超える人は出て来ない」

   『フライデー』は上方落語の重鎮、桂三枝改め桂文枝師匠(72)の「20年不倫」をスクープしている。仲良く湯豆腐を食べていたり、リラックスした格好で彼女とのツーショット写真が載っている。彼女は2000年に演歌歌手「紫艶」という名前でデビューした。

   この記事は師匠と彼女の仲がおかしくなり、彼女がフライデーに告白したのではない。どういう経緯かわからないが、SNSに彼女がアップした写真が『流出』したのをフライデーが入手したようだ。彼女のウリは演歌歌手なのに90センチの巨乳。フライデーから写真を見せられた彼女は観念したのだろう、師匠とのなれ初めを語り始めた。

   師匠とは18歳の頃から20年も交際しているそうだから38歳になる。大阪で師匠の単独公演があったとき招かれ、その後に食事に誘われ、男と女の関係が始まったという。彼女が東京でデビューしたときには、師匠が名付け親になってくれたそうだ。

   <「桂文枝さんは父であり、師匠であり、恋人だと思っています。私が親密になった男性は師匠だけ。師匠を超える人は出て来ないと思います。ただ今回の件で、師匠の奥さま、ご家族、関係者の方々など、いろいろな人たちに、ご迷惑をかけることになりました。この場を借りてお詫び申し上げます。責任はすべて私にあります」(紫艶)>

   なかなかしおらしい女性である。こういわれたら、師匠も彼女を捨ててカミさんの許へ戻るとはいかないのではないか。それとも愛妻家をやめて、彼女と所帯を持ちますか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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