『週刊新潮』送られてきたある死刑囚の手紙「オレンジ共済事件の政治ブローカー殺して埋めた」
『週刊新潮』が60周年を迎えた。初めての出版社系週刊誌として世に出て、新聞社系週刊誌全盛時代を終焉させたパイオニアである。その週刊新潮が「永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白」を掲載している。死刑囚から届いた1通の手紙という書き出しを見て、あの大誤報を思い出した。朝日新聞阪神支局を襲った真犯人のスクープ手記と大々的に謳ったが、結局、真っ赤なウソだとわかって、大きな批判を受けた。今度は大丈夫なのだろうか。そう思いながら読み進めた。
手紙の主は東京拘置所在監の暴力団組長、矢野治死刑囚(67)である。死刑判決をうけた事件は、03年に発生した暴力団同士の抗争だ。矢野の指示を受けた組員がスナックで飲んでいた相手方のナンバー2を射殺するために銃を乱射し、一般人まで殺してしまったため、共謀共同正犯で逮捕され、極刑をいい渡されたのである。
その矢野が斎藤衛氏殺害を告白したというのだ。彼が「オレンジ共済事件」で国会で証人喚問されたとき、私も週刊誌の編集長だったのでよく覚えている。この事件は、国会議員を目指していた友部達夫が、92年に「オレンジ共済組合」を設立、高配当を謳った金融商品を売り出した。100億円近い資金を集めたが友部の私的流用に消え、配当は続かず組合は倒産、彼は詐欺容疑で逮捕された。
だが、その間の95年、彼は参議院選に新進党から出馬して当選している。その際、比例名簿順位を上げてもらおうと政治ブローカーを使い、工作資金約5億円が新進党に流れたといわれる。そのブローカーが斎藤氏であった。
斎藤氏は暴力団の企業舎弟で、その頃に矢野と知り合ったという。このオレンジ共済事件は未解決となり、斎藤氏は政界の「黒幕」といわれたが、その後に姿を消してしまったのだ。
家族から捜索願が出されたが杳として行方が知れず、手がかりもなかった。矢野死刑囚がいうには、斎藤との間で金銭トラブルがあり、それがこじれて殺したというのだ。死体を始末した人間の名前まで書いているが、以前のことで懲りているのであろう週刊新潮は、<矢野の証言は極めて具体的だった。もっとも,彼の告白目的が、新たな事件の立件化による死刑執行の先送りにあるのも間違いないだろう。毎日新聞の記事(斎藤氏が行方不明になっているというもの=筆者注)や、業界の話で斎藤の失踪を知り,架空の殺人事件をでっち上げている可能性も完全には否定できまい>と、『慎重』なのである。同様の手紙は警視庁目白警察署にも送られていて、白署の刑事が東京拘置所で矢野の事情聴取を行ったが、その後は警察は動いていないという。そこで、週刊新潮は死体遺棄役とされた矢野の組の元構成員を探し出すのである。このあたりは週刊新潮の取材力に脱帽である。そして固い口をこじ開け、その人間から全容を聞き出すことに成功するのである。
この辺りは良質のミステリーを読むが如くである。だが、死体は一つではなく二つ出ると矢野はいっていたという。二つ目の死体とは何か。次号をお楽しみである。なぜ警察は動かなかったのか。95年以降の殺人事件には時効が廃止されたから、死体遺棄役が死体の埋まっている場所に案内すれば、逮捕されることはないのか。いくつかの疑問はあるが、なかなか読み応えのある記事である。