清原和博の薬物依存は巨人を退団したころから始まったらしい。周囲が最初に異変に気付いたのは、巨人時代の最後の年の2005年にダイヤモンドのピアスをつけたことだった。翌年、これで日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞する。そのとき彼はこう言っていた。
「2年前に巨人の去就問題(スタメンを外され、退団の危機に陥ったが残留)がありました。そのとき味わった悔しさ、無念さをからだに刻み込みたいと、刺青、タトゥーを入れようと思いました。母親に言ったら烈火のごとく叱られて、それでピアスにしました」
ジャイアンツ退団でダイヤモンドピアス、全身刺青
戦力外通告を受け、06年にオリックスに移籍したが、故障のため思うような結果が出せず、08年にプロ野球を引退した。そして、この年にまず右ふくらはぎに龍の刺青、その後に胸から背中にかけて昇り龍の刺青をした。
2011年の東日本大震災の時には、炊き出しなどで明るい笑顔を見せていたのだが、一方でラジオの野球解説をドタキャンすることが相次いでいた。この頃からイベントでトンチンカンなことを言ったり、報道陣に悪態をついたり、奇行が目につくようになり、14年の巨人キャンプに上下白の異様な服装で現れて周囲を驚かした。
週刊文春の「薬物疑惑」記事はこの直後だった。PL学園時代のチ-ムメイトの桑田真澄さんはそれ以前から薬物疑惑を心配していた。「引退後から小姑みたいに言い続けました。しかし、一切関わらないでくれと言われて、以後は電話もしなくなって、3年ぐらいになります」「われわれはもう支える立場だと言ったのだが、彼はいつまでもプレーする4番から変われなかった」
薬物で前科があり、いま更生支援施設で活動する田代まさしさん(59)が薬物の怖さを話した。「いけないとわかっていても、気持ち良さ、幸福感が脳に刻み込まれていて、手を出しちゃう。3年半服役して、さらに1年7か月経った今でもやりたいと思う瞬間がある」
清原が逮捕されたときに器具を手にしていたのを見て、「僕も初めは隠していたが、そのうち器具をそこらに置くようになりました。(彼は)相当依存度が進んでいたんでしょう」。清原が入手先をいわないことについては、「売人の名前はいわない。出所したとき連絡が取れないと、次に頼めないから」と話す。刑務所に入っただけではやめる気にならないということだ。
番長と言われ、どこにも怒りぶつけられない悔しさ
桑田さんは最後に「野球にはピンチでも代打もリリーフもありますが、人生にはありません。数々のホームランを打ってきた男ですから、また綺麗な放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってもらいたい」と語った。
司会の小倉智昭「簡単にはやめられないというのは、田代さんの話でもわかりますね。入手先を言わないのは、暴力団に目をつけられるということなのかな」
ショーン・マクアードル川上(経営コンサルタント)「次に頼めなくなるというのはショッキングですね。罰と同じくらいに、更生のプログラムに力を入れないといけない」
小倉「スタッフと転落はどこから始まったかと話していて、僕はピアスの時にものすごく気になったんです。異様でしたからね」
中瀬ゆかり(新潮社出版部長)「あれから顔つきも変わりましたよね。色も黒くなった。結局、刺青を入れている」
笠井信輔(ニュースデスク)「私の知り合いは、5年前に聞いたといっていました」
結局は巨人ではないか。ドラフトで巨人にはねられ、念願を果たして巨人に行ったが、そこで目標を失ったように見える。「番長」といわれながらも、戦力外通告。「悔しさ」はすべて巨人からだ。数奇というしかないか。