衝撃的なSTAP細胞の発表があったのは、ちょうど2年前(2014年)のきょう1月28日だった。その後、捏造だったとして葬られたが、小保方晴子さんの手記「あの日」がきょう発売になった。帯には「真実を歪めたのは誰だ?」とある。
手記の冒頭で、「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか」と書いている。それがタイトルの「あの日」だ。
ポケットのない服を着せられ24時間監視で検証実験
253ページ、15章あり、小学校時代から時系列に綴られている。STAP会見は第7章「想像をはるかに超える反響」にある。ただの研究員が一躍「リケジョの星」となった日だ。共同研究者の若山照彦・山梨大教授、笹井芳樹・理研副センター長(のち自殺)も同席。「世紀の大発見」と胸を張った。
第8章は「ハシゴは外された」。論文の捏造やデータの改ざんが指摘され、「初期の報道で私に注目が集まったためか、世間の厳しい目は筆頭著者の私に向けられた」「不必要な加工と取り違いはあったが、実験の結果にも論文の結論にも影響を及ぼさないものだった」
その後、自ら検証実験に取り組んだが、「先生たちからは、『魔術を使う』と
言われ、誰も信じてくれない」と書く。24時間監視された。ポケットのない服を強いられ、立会人がエプロンを着せ、脱ぐことは許されなかったという。さらに、一緒に研究した仲間から内部リークされ、小保方さんに不利な報道が続いたという。
理研は14年12月、検証実験でSTAP細胞の再現はできなかったとして幕を引いた。これには「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれているように感じた」「上司にあたる人たちによって周到に準備され、仕掛けられた罠だったとも受け取れた」「STAP現象は確かに確認されていた」という小保方さんの主張は通らなかった。その無念を手記の最後にこう書く。
「研究者を夢に見ながら過ごした大学院時代。当時の研究室の風景が鮮明に蘇ってきた。涙はとめどなくあふれた。私の研究者の道は幕を閉じた」