作家の野坂昭如さんが亡くなった。03年に脳梗塞で倒れ、リハビリを続けていたが、おととい9日(2015年12月)に自宅で誤嚥性肺炎で心不全となった。焼け跡派、無頼派といわれ、「火垂の墓」で直木賞受賞した。歌もつくれば政治にも飛び込む。自由奔放に生きた85年だった。
「モーニングショー」は、ノーベル賞、羽生結弦の新記録、呑川のゴミ船の、ミニ保険のお話が続き、最後の、「羽鳥のもう1本」コーナーでやっと取り上げた。
2メートル吹っ飛んだ大島監督はマイクで応戦
野坂さん死去の経緯などを伝えると、話は一気に映画監督・大島渚さん(故人)との殴り合いに飛んだ。1990年の大島さんの結婚30周年記念のパーティーだ。映像があった。
ステージで野坂さんは祝いのメッセージを読み上げ、隣に大島夫妻がニコニコと立っている。読み終えた野坂さんがいきなり大島さんの顔面にパンチを浴びせる。大島さんは2メートルくらい吹っ飛んだ。大島さんも常人じゃない。怒りの形相で持っていたマイクで2発殴り返したところで、大島夫人の小山明子さんが割ってはいった。
司会の羽鳥慎一「若い人は知らないかもしれないが、あれは衝撃でしたよね」
スピーチ後回しにされているうちに酔っ払っちゃった
玉川徹(テレビ朝日ディレクター)はこれを現場で見ていた。1990年のテレ朝手帳を取り出してみせた。「大島渚結婚30周年パーティー取材 野坂、大島をなぐる」と書いてある。「この映像はいつか絶対使われると思ったんですよ。だから書きとめたんです」
羽鳥「何だったんですか」
玉川「野坂さんのスピーチがどんどん後になってしまい、酔っぱらって『なんだ!』となったんです」
野坂さんはペーパーを用意して長いこと緊張して待っていたのだった。あとでそれがわかって、自ら司会をしていた大島さんが「ボクが悪かった」とその場で謝った。殴る方も殴る方だが、むしろ殴り返した大島さんの迫力が印象に残ったものだ。
羽鳥は「野坂さんの人柄を表すシーンでした」と締めくくったが、わかってるのかな。けさの朝日新聞「天声人語」までが「火垂の墓」を「体験に基づいて」と書いていた。義妹が死んだのは神戸で、餓えでもない。「ひとでなし」という作品に書いている。
倒れる前、憲法改正や右傾化への危機感を「もっと書いておくべきだった」と雑誌に書いていた。この意味をわかる人も次第にいなくなっている。