スピーチ後回しにされているうちに酔っ払っちゃった
玉川徹(テレビ朝日ディレクター)はこれを現場で見ていた。1990年のテレ朝手帳を取り出してみせた。「大島渚結婚30周年パーティー取材 野坂、大島をなぐる」と書いてある。「この映像はいつか絶対使われると思ったんですよ。だから書きとめたんです」
羽鳥「何だったんですか」
玉川「野坂さんのスピーチがどんどん後になってしまい、酔っぱらって『なんだ!』となったんです」
野坂さんはペーパーを用意して長いこと緊張して待っていたのだった。あとでそれがわかって、自ら司会をしていた大島さんが「ボクが悪かった」とその場で謝った。殴る方も殴る方だが、むしろ殴り返した大島さんの迫力が印象に残ったものだ。
羽鳥は「野坂さんの人柄を表すシーンでした」と締めくくったが、わかってるのかな。けさの朝日新聞「天声人語」までが「火垂の墓」を「体験に基づいて」と書いていた。義妹が死んだのは神戸で、餓えでもない。「ひとでなし」という作品に書いている。
倒れる前、憲法改正や右傾化への危機感を「もっと書いておくべきだった」と雑誌に書いていた。この意味をわかる人も次第にいなくなっている。
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト