22年前の12月16日、週刊現代新年合併号の校了を終え、昼過ぎに元週刊文春編集長の花田紀凱さん、週刊ポストの岡成憲道さんと、某雑誌の座談会のために集まっていた。そこへ編集部から「田中角栄が亡くなった」という電話が入る。すぐに印刷所に連絡して輪転機を止め、自社広告ページを飛ばして2ページ角栄の記事を入れろと指示を出す。座談会を終え社に慌てて戻ったことを覚えている。
「昭和の今太閤」と持て囃されたが、金権政治批判で総理の座を辞した後、ロッキード事件で逮捕され、脳梗塞で倒れるなど、晩年の姿は哀れだった。そんな波瀾万丈の角さんを懐かしむ声はいまだに多い。『週刊新潮』は二十三回忌にあわせて田中角栄のワイド特集を組んでいる。石破茂が彼の父親が死ぬ間際、田中に「葬儀委員長をやってくれ」と頼むと、最初で最後の派閥が主催する「田中派葬」をやってくれた話を語る。
齋藤隆景新潟県議会議員が、竹下登は幹事長にしてくれないことを恨んで田中派を割ったといわれているが、角栄は「将来自民党を背負って立つ人だと思うから、国の財布の中身を知っていなければいけないと思って大蔵大臣を何回もやってもらっているんだ」と齋藤に話したと、死後、竹下に話したところオロオロと泣き出した話。
大平正芳と角栄の友情はよく知られているが、すき焼きの好みは甘好きの大平と、醤油好きの角栄と違っていたので、別々の鍋を用意したと元代議士の森田一が語っている。地元愛と義理人情にあつかったという毎度お馴染みの角栄像だが、懐かしいと感じるのは、今の首相が角さんとは違いすぎるからだろうか。
素直に受け取れぬ「小泉純一郎の安倍批判・反原発」自分の『罪』は棚上げ
『週刊文春』ではノンフィクション・ライターの常井健一氏が小泉純一郎元首相のインタビューをやっている。いつものように、現役時代は原発の技術的なことについてわからなかったので、専門家から「廃棄物の捨て場所も十、二十年たてば見つかると言われた。『科学万能』『いずれ放射能は無害化できる』とも聞かされた」が、間違っていることがわかった。だから原発をゼロにしろと大転換した。その道筋は極めてシンプルで、「安倍総理が原発ゼロでやるって決断すれば、野党だって自民党だって経産省だって反対できませんよ。国民の六、七割もついてくる。こんなチャンスないんだ」(小泉氏)
安倍首相が世論の反対を押し切って成立させた安保法案についても、「安倍総理の考えは、私とは違うからわからないけど、今国会でないといかんと思ったんでしょう。全部強引に押し切っちゃう。なんか先急いでるね。ブレないところが俺を見習っていると言われるけど、わからんな」
今は読書に音楽、ゴルフをやり、真向法を取り入れた柔軟体操を毎日しているという。このインタビューの全文は『文藝春秋』に載っているようだが、言葉の端々から私が感じ取れるのは、幸せな老後を送っている元総理の道楽の一つが「反原発」という運動なのだということだ。
反原発をいっていれば、彼が在任中にやった新自由主義導入で今のような超格差社会を生み出してしまったことや、ブッシュのいいなりにイラク戦争を支持した「罪」を問われないと思っているのではないか。原発や息子・進次郎のことはもういいから、その2点についてどう考えているのか、厳しく問い詰めるべきだと私は思う。