妖怪・戦争記憶と生きた水木しげる93歳!最後は「ゲゲゲの女房」にアイコンタクト

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   「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんがきのう30日(2015年11月)に多臓器不全で亡くなった。93歳だった。妖怪マンガというユニークなジャンルを拓く一方で、戦争体験もシニカルに語り続けた。安保法制にもきびしい言葉を発していた。

   水木さんは先月11日に自宅で転倒し、頭を打って入院していた。自宅に戻った妻の布枝さん(83)は最期の様子を「悲しいです。何もできなかったですよ。アイコンタクトちょっとしただけ」と涙を見せた。

   結婚50年。二人三脚の様を描いた「ゲゲゲの女房」は、NHK連続テレビ小説にもなった。2人で編んだすばらしい記念碑だ。

陰惨なニューギニア体験「戦争はすなわち死ですよ」

   明日(2日)発売の雑誌「怪」(KADOKAWA)には、水木さんの最後の筆になる妖怪が描かれている。その巻末のコメントにはこうある。「最近、妖怪を感じる。今、目の前をうろちょろしている妖怪は、実際に昔の人も見たやつだと思う。即ち、幻想と人間の中間にあるものが存在しているんだと思う。これは、じっと観察していないとなかなか掴みにくいけど、確かに存在しているようだ」

   言葉も映像もたくさんある。2010年、文化功労者になったとき、「もうちょっと上の賞はないのかな。普通の賞では驚かない」という水木さんに、布枝さんは「普通の賞じゃないわよ」

   「戦争体験から死んでもともとという考え方をもっていたし、あまり現実の人生に期待していなかったから、生きてこられたようなもんだ」(「ねぼけ人生」)。8月の「水木しげるの戦争と新聞報道展」で若い人へのメッセージをと乞われ、「戦争はすなわち死ですよ」といっていた。

   昭和18年、21歳で応召してニューギニアへ送られた。上官のいじめやマラリア、空襲で左腕を失った。小隊が全滅して水木さん1人が生き残り、5日もさまよって中隊に合流すると、中隊長は「みんな死んだのなら、お前も死ね」と玉砕を強要された。これが原点になった。

   妖怪のイメージは、鳥取・境港で幼い頃に見聞きした拝みばあさん「のんのんばぁ」の話だ。「ゲゲゲの鬼太郎」がテレビ番組になったときはすでに40歳を過ぎていた。同時に「総員玉砕せよ!」「水木しげるのラバウル戦記」などできびしく戦争を告発し続けた。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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