北海道札幌市白石区のグループホーム「福寿草」の2年にわたるドキュメンタリー映画である。住人は認知症のお年寄り9人。福寿草は春一番先に咲く花だ。雪が解けて、誰が見ていなくても一番先に咲く。美しくて強い。みんながひとりずつ強くなれればいい。だから「福寿荘」と名付けたそうだ。
施設長の武田純子は「認知症の人って普通の人だってことを教わりました。誰がいつなるか分からないじゃないですか」と話す。認知症の人は「何もできない人」ではない。本人なりの思いや願い、できる力を秘めている。地域社会のなかで築いてきた暮らしや人生があり、今を生きている。日々、喜怒哀楽を共にしながら、支え合っていくパートナーなのだ。
武田「いろんなことを教えてくれましたね。もう、それは宝の山ですよ」
スタッフたちもお年寄りたちを「人生の大先輩」として尊敬している。映画では認知症についての説明はほとんどない。「認知症」という病のこと以上に、人間を見つめたいと思うからだ。何気ない一言やワンシーンに耳を澄ませてほしい。認知症の人が周りの人とのコミュニケーションが取りづらくなっても、意思の疎通を図ることはできる。
武田「食べること、寝ること、出す(排泄する)こと、この3つをちゃんとリズムを整えてやったら、みんな嬉しいんだと思う。人に手をかけてもらわなきゃならない。そういう生き方かもしれないけど、生まれたときと死ぬときは人の手を借りて当たり前。めいっぱい良い手をかけて、その人の人生の最終章をきれいに作り上げていける。そういう支援をしたいなと思ってるんです」
「困ってる事ないかいって? 美人になりたいんだけどなあ」
おばあさんたちは大変なユーモアの持ち主でもある。スタッフが尋ねる。「なにか困ってることない?」
「あるよ」
「何困ってるの?」
「美人になりたいこと」
大爆笑だ。
福寿荘の住人は歌が好きだ。みんなよく歌う。「ツーレロ節」、讃美歌、「影を慕いて」「津軽海峡冬景色」「ふるさと」「お座敷小唄」「リンゴの歌」・・・。なかでも印象的なのは、「一に俵をふんまいて 二でニッコリ笑って 三で盃いただいてから」の「数え歌」だ。あるおばあさんが「戦争があって、苦労して」と「勝ってくるぞと勇ましく~」と軍歌を歌い出す。すると横にいたおばあさんが、「そんなの歌っちゃダメ。あんた一人が苦労したんじゃないの」と叱責する。もっともスリリングなシーンだ。「自分一人で戦争したって言わないで」「はいっ」と緊張が解け、二人は大声で笑いだす。
さりげなく映される主がいなくなった空になったベッド・・・
テレビなどのマスメディアは絵になるところ、感動的なところ、異常に大変なところに集中する。しかし、被写体の傍にいて、カメラとマイクを通じて空気のようなものが伝えることができれば、それだけで十分ではないか。「傍にいたいから」監督の伊勢真一の基本姿勢は、そっと「寄り添う」ことだ。
伊勢が寄り添うのは、小児ガンの患者、知的障害者、寝たきりの障害者、東日本大震災の被災者だったりする。彼らが一番必要としているのは「寄り添ってくれる人」だ。伊勢は彼らの日常を淡々と撮っていく。伊勢のドキュメンタリーに基本的にシナリオはない。撮っているうちに方向性が見えてきて、その流れに身を委ねている。
亡くなった人のことは空になったベッドをさりげなく映すことで示す。季節の移り変わりの節目として、お正月、クリスマス、雛祭りなどが映し出される。年が明け、雪が解けて、また福寿草が咲き出した。
佐竹大心
おススメ度☆☆☆☆