11月11日は高倉健が亡くなって1年。BSを中心に健さんの映画を何本も流していた。個人的には、結末はあまり好きではないが「駅 STATION」がいちばんいい。北海道の雪深い町のどん詰まりにあるうら寂しい赤提灯で、女将の倍賞千恵子と健さんが、紅白歌合戦で八代亜紀が唄う「舟歌」を聞きながら、何気ない会話を交わすシーンが好きだ。
一夜を上にある彼女の寝間で過ごした健さんが、朝、歯を磨きながら、倍賞から「私の声大きくなかった?」と聞かれ、「すごかったな」と一人呟くのが微笑ましかった。
『週刊新潮』は、健さんが死ぬ前に養子縁組をして、唯一の子供として彼の遺産を引き継いだ養女(51)について、あまり芳しくない噂があるとレポートしている。健さんは4人きょうだいの2番目。兄と上の姉は物故しているが、下の妹の敏子さん(80)は九州で健在だという。きょうだいたちにはそれぞれ子供がいるが、健さんの死は事務所が公表するまで知らされなかったし、密葬にも呼ばれていない。
驚くのは、健さんは江利チエミとの間にできた「水子」が眠っている鎌倉霊園に墓地をもっていたが、健さんと親しかった「チーム高倉」たちが、供養塔をそこにつくれないかと霊園側に持ちかけたところ、霊園側から「管理費が滞納されている」ことを告げられたというのである。養女が忘れていたのかもしれないが、礼を失しないことを大切にしてきた健さんが生きていたら、いちばん嫌がることではないだろうか。
養女は過去に2度離婚経験があるそうだ。その後、19年ほど前に健さんが「家の仕事をしてくれる人を探している」と親しくしていた寿司屋の大将に話し、彼女が敷地内の別の建物に住むようになった。そして、しばらくすると二つの建物をつなげ自由に行き来できるように改築したという。
養女の父親は東京・板橋区の古い住宅供給公社の団地に住む。壁は塗装がだいぶ剥げ落ちていると週刊新潮が書いている。実父の久夫さん(80)は妻とは30年くらいに前に別れているという。
「去年、パジェロに乗ってやってきたけど、私の吸うタバコの煙を嫌がって、『もう来ない』とすぐに帰ってしまいました。珈琲セットとか果物を贈ってきたり、年賀状のやりとりはあったけど、最近はなくなりました。で、高倉健ですか。養子になったというのは聞いていなかったです。そう言えば2年くらい前に来たときは、30万円が入った封筒を置いて行きました」
彼女は千代田学園に通う18歳のときスカウトされて芸能界入りし、20歳でデビューした。はじめは民謡歌手のアシスタントなどをしていたが、橋田壽賀子や山田太一のドラマに出るようになったそうだ。笠智衆に可愛がられたと父親が話している。しかし、芸能界の仕事から次第に離れていったという。
健さんが愛した最後の女性は健さんにふさわしい人であってほしい。そんなファンの思いに彼女がかなり重圧を感じていることは想像できる。ぜひ、表に出てきて素顔の健さんの思い出を語ってほしいものである。
「クロ現」やらせスクープの週刊文春!BPOへの「政治介入」にひと言なしか
『週刊文春』は巻頭でNHK「クローズアップ現代」のやらせ問題について、BPO(放送倫理・番組向上機構)が「重大な放送倫理違反があった」と断罪したことを報じている。以前もここで書いたように、昨年5月14日放送の「追跡『出家詐欺』~狙われる宗教法人~」でやらせがあったと報じたのは週刊文春である。NHKのN記者がインタビューしたブローカーはN記者の友人で、ブローカーではなかったのだ。
BPOの判断は当然であり、こうした不祥事だけではなく、さまざまな問題が起きる背景には籾井会長の「恐怖政治」があることも事実だが、もっと問題なのはBPOが指摘している「政治介入」である。
BPOは、この問題をめぐって放送に介入する政府・与党の動きが見られ、これは「放送の自由と自律に対する圧力そのもの」と厳しく批判したが、菅房長官や谷垣幹事長らは猛烈に反発している。
BPOはNHKと民放連によって自主的に設置された第三者機関である。こうした問題に政治家が口を挟んでくるのは口幅ったくいえば憲法違反である。そこへ言及しなかった週刊文春の報道にはやや不満が残った。
「春画事件」で編集長が3か月の休養を命じられ、次期社長候補といわれる木俣氏が編集長を務めてから、失礼だが、やや誌面が精彩を欠いていると思うのは私だけだろうか。