多忙すぎないか「天皇皇后のご公務」週刊文春が心配した三大行幸啓のハプニング

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<「すべては壇上で起きたことで、その場にいた全員が目撃しました。一般の観衆はちょっとしたハプニングだと捉えたようです。しかし、天皇陛下の為さりようを長年拝見してきた記者なら、いま我々の目前で起きていることは非常に重い意味を持つのではないかと、深刻に受け止めたはずです。だからこそ、宮内庁記者会は侍従だけでなく次長に対しても、詳細な説明を求めた。
   ただ、この『事件』を報じることは、取りも直さず陛下の健康問題について指摘することに繋がる。これは非常にデリケートな問題であり、やむを得ず報道するのを見送りました」(宮内庁担当記者)>

   こう書き出すと、天皇陛下に重大な病気が新たに見つかったようだが、『週刊文春』によれば、以下のようなことである。それは10月25日(2015年)、富山県で開かれた「第35回全国豊かな海づくり大会」の式典行事に天皇皇后が臨席された時に起こったという。

   そもそも、この行事は天皇皇后が地方へお出ましになる毎年恒例の「三大行幸啓」のひとつである。三大行幸啓とは、初夏に行われる「全国植樹祭」、秋に行われる「国民体育大会」、そしてこの「全国豊かな海づくり大会」だ。植樹祭や国体の御臨席は昭和天皇から引き継がれたものだが、豊かな海づくり大会は天皇が皇太子の時代に始められ、1981年の第1回大分県大会から出席されているそうだ。

   89年の即位のとき、記者会見で天皇はこう述べている。「皇太子時代、毎年豊かな海づくり大会に出席しましたのも、日本を囲む海が少しでも良くなるように願ってのことでありました。地球規模の環境が日本でもだんだん関心を集めてき、それに取り組む人々が増えてきていることを、大変うれしく思っております」

   天皇はこの大会に特別の思いがあり、今回の富山訪問にあたっても、天皇皇后は富山市の県立イタイイタイ病資料館も視察され、患者の家族らとも懇談されている。

   問題の『事件』が起きたのは25日正午頃だ。壇上では若手の漁師夫妻による決意表明や、児童による最優秀作文の朗読などのプログラムが次々に披露されていた。<「最後に、『閉会のことば』を述べようとする横山栄・富山県議会議長が舞台下手の主催者席を立ち、高校生の先導で、ステージ中央後方の天皇皇后両陛下に向かって最敬礼をするポイントまで進むと、天皇陛下が議長を呼び止めるように右手をパッと出されたのです」(別の宮内庁担当記者)>

   横山議長は何のことかわからず狼狽したという。後で横山議長はこう話す。<「本当に驚きました。私が頭を上げると、陛下が手招きをされている。一、二歩進んでも陛下の声があまりよく聞こえませんでしたので、失礼を承知で本当におそばまで近付いたところ、『最優秀作文の発表は終わりましたか?』とお訊ねになったのです」>

   横山議長は一瞬何のことかわからなかったそうだが、「終わりました」と申し上げると、ふうんと納得されたような感じだったという。この様子を見て、宮内庁担当記者の脳裏には、ある懸念が去来していたという。<「思い出したのは、あの八月十五日の終戦記念日に行われた全国戦没者追悼式での、『お言葉フライング』の一件です。(中略)何十年も続けてこられたこの追悼式の手順を間違えられ、黙祷を待たずにお言葉を読みあげられた陛下のお姿は、衝撃的でした」>

   心配されるのは、お年を召されるにつれて物忘れをなさることが増えていることだと、ある宮内庁関係者が話している。<「気の置けないお客様と御所でお会いになる時は、人の声に対して集音能力の高いセパレート型と見受けられる補聴器をお使いになっているそうです」(宮内庁関係者)>

   今上天皇は来月(2015年12月)に82歳を迎えるのだから、少々もの忘れがあってもおかしくはない。私などはひと回り下なのに、耳は聞こえず目は近く、もの忘れという程度ではなく認知症の初期の兆候がはっきりと出ている。

   テレビで見る天皇陛下はたしかにお年を召されたが、歩く姿や姿勢などはまだまだ矍鑠としている。先日、飛び入りでパラリンピックを目指す選手と卓球を楽しまれた映像にはビックリした。たしかに週刊文春のいうように、周りに控えている侍従たちが、それとなく目配りをしてあげることは必要だろうが、体力,気力はまだまだ衰えていないようだ。

   心配なのは両陛下の公務の多すぎることである。皇太子や秋篠宮に公務を割り振り、両陛下が休める日をもっと増やしてあげることを至急やるべきであろう。

「大山のぶ代認知症介護」悪戦苦闘!砂川啓介救った毒蝮三太夫のアドバイス

   天皇の話題の次にこれを持ち出すのは畏れ多いが、認知症といえばテレビアニメ「ドラえもん」の声を26年間演じてきた女優・大山のぶ代(82歳)のことが話題だ。認知症の彼女を夫で俳優の砂川啓介(78歳)が介護しているが、そうとう大変なようである。最近、砂川が上梓した「娘になった妻、のぶ代へ―大山のぶ代『認知症』介護日記」には、入浴以上に砂川の頭を悩ませるトイレの問題がこう書かれている。

<ある夜、2階に上がろうとすると階段の踊り場に黒いものが点々と落ちていた。ゴミ屑か何かだろう。思い切り踏んづけたその瞬間「グニャリ」とした感触が足元を襲った。ん? これはゴミじゃない。よくよく見ると、なんと人間の大便ではないか。すぐに、ペコがしてしまったのだろう・・・と理解できた>

   だが、本人は「知らないわよ、あたしじゃないもの!」といってまったく覚えていない。もしかして粗相をしてしまったのかもと、顧みようとするそぶりさえないという。砂川は床についた便をふきとりながら、<いったい何をやっているんだ俺は・・・。こんなことが毎日続くのだろうか>と自問自答を繰り返したそうである。

   そんな砂川を救ったのは60年来の親友である俳優の毒蝮三太夫だった。奥さんの病状を公表したほうがいいとアドバイスしたのだ。<公表したことで「もう皆に嘘をつかなくていい」という安堵感と同時に、カミさんの認知症を素直に受け入れられたように思う>と書いている。

   立命館大学教授で男性介護ネット事務局長の津止正敏氏もこう語る。<「男性介護者は、SOSを出すのが苦手なんです。世間体を気にして、誰にも相談せずに、自分一人で頑張る『隠れ介護』に陥る傾向が強い。目標を立てて何とか治そうと介護をする男性が多いのですが、介護は必ずしも結果が出るものではありません。

   それに絶望して不幸な結末を迎えてしまうケースが後を絶たない。介護殺人や無理心中などの7割が男性なのもそのためです。

   最悪の結果を招かないためにも、介護は劇的に治すものじゃなくて、『ゆっくりと向き合うもの』だと、気づくことが重要です」>

   砂川は、長年触れ合わなかった夫婦だったのに、結婚から半世紀を経た今になって、毎晩、ギュッと夫婦で抱きしめ合うようになったという。老老介護、それも片一方が認知症になったらと思うと、他人事ではない。こっちが認知症になってしまえばいいとは思うが、カミさんはオレの面倒を見てくれるだろうか。見ないだろうな。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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