川島なお美「抗がん剤より女優を選んだ最期」先週末にはベッドから写メ

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   川島なお美がきのう24日夜(2015年9月)、肝内胆管がんのため亡くなった。激やせが話題になっても「大丈夫」と言い、舞台に立ち続けたが、降板から1週間と、女優として燃焼しつくした54歳だった。

   夫のパティシエ、鎧塚俊彦さんがfacebookで報告した。「午後7時55分、妻尚美が他界しました。最後の最後まで女優として、女房として、人として全力で生を全うしました。息を引き取るまで川島なお美のままでした。本当に立派でした」

   川島のがんがみつかったのは13年8月だった。14年1月、12時間に及ぶ手術が行われた。3日後のブログに「旦那はん、結婚5周年おめでとう。あなたと結婚して本当によかった」と書いた。

早期発見・治療難しい肝内胆管がん

   医師によると、胆管がんは自覚症状がないため進行してわかることが多く、治療開始からの5年生存率は40~50%と低い。しかし、川島は手術2か月後にブログで公表したとき、「ずっと元気です。生まれかわった気持ちです」とさらりと書いていた。

   それから1年8か月。入院したあとの今月19日には病床での写真を載せ、「いま動かなくなってしまったエンジンを直してます。復帰できるよう治療に専念します。しばらく更新できないかもしれませんが、よろしくお願いします」となお前向きだった。

   司会の加藤浩次「亡くなったとは・・・。びっくりしました」

   11月から共演する予定だった川崎麻世は「殴られたような衝撃です。笑顔で帰って来てくれると信じていたのでショックです」と話す。これまでも舞台で共演し、個人的にも親交があった。病気についてはそぶりも見せなかったという。

   「女優としては非常にストイックで、自分にもきびしいし、周りにもいい意味できびしかった。妥協を許さない。だから、ミュージカル『パルレ』でセリフが出て来なかったなんて信じられないです」

   湯山玲子(著述家)「女子大生で現れて、いまでいうDJをうらやましいと思いました。それが女優から舞台へとのびていった。本当に自立した女性だったので、同世代としてはショックです」

「私の血は赤ワイン、涙は白ワイン」

   18歳で歌手デビューし、20歳でラジオDJで女子大生ブームを引っ張った。22歳で「お笑いマンガ道場」でバラエティアイドルとしてブレークしたが、28歳のときにロケバスの事故で首を折る重傷を負う。前向きな姿勢は変わらず、32歳でヘアヌード写真集で大人に変身。36歳のときに「失楽園」のヒットで女優としての地位を確立した。

   その後、ワイン好きからワインの女王と呼ばれ、「血は赤(ワイン)だけど、涙は白ワイン」などの名セリフで話題になった。それがカリスマ・パティシエ鎧塚さんとの出会いにつながった。48歳で結婚し、鎧塚さんが左目を失明する事態に直面したが、川島さんが献身的に支え、そして今回は鎧塚さんが彼女を支えた。

   芸能レポーターの井上公造は8月初めに会ったという。「おやせになりましたねぇといったら、『大丈夫、大丈夫』と声は張りがありました。『年末のミュージカル見に来てくださいね』『いきます』といったのが最後でした」

   加藤「抗がん剤より女優さんをとったということですかね」

   川崎「なお美ちゃんらしい。死ぬまで女優でいたかったんでしょう」

   入院したのはおとといだったという。それまで自宅にいた。19日の写真は病院ではなかった。そういう生き方もあるか。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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