ドイツのメルケル首相を中心に、欧州各国はシリアなどからの難民受け入れに本腰を入れ始めた。トルコの海岸に打ち上げられた幼いクルディ君の遺体写真に欧州の世論が動いたためだが、難民たちは密航業者に食い物にされている。
クルディ君一家が乗せられたボートは4人乗りだが、「大丈夫だ」と12人も乗せられ、支払った金はシリアの平均年収とほぼ同じ4000ユーロ(約53万円)だった。救命胴衣は別途料金だった。
ヨーロッパ大陸に到着できても、あこぎなビジネスの餌食になる。オーストリアでは冷凍車から71人の遺体が見つかった。全員が窒息死だったという。国境を超えるたびに金、トイレ使用にも金を要求されるという。
ドイツ・メルケル首相「欧州全体で対応しましょう」
難民はギリシャ、マケドニアを通過してハンガリー国境にたどり着く。しかし、ここでも鉄条網と警察官に阻まれ立ち往生となる。財政的に難民を受け入れる余裕はないというのが理由だ。ナントか国境を突破したとしても、首都ブタペスト東駅は大勢の難民でごった返し、列車が動くのを待って野宿する。メルケル首相はこれを見て国境を開放することを決めた。
取材スタッフが4日(現地時間2015年9月)、ブタペスト駅から夫婦・子ども2人のドイツまでを密着取材した。一家は家をアサド政権に破壊され、街はイスラム国に支配されて居場所がなくなったという。妻のマネルさんは「親切な人たちがみなイスラム国に殺されてしまった」と話す。
5日夕、一家はようやくオーストリアへ向かう列車に乗ることができ、市民から差し入れられた飲み物や菓子を手にして少し明るい表情になった。5日午後11時、オーストリアとドイツ国境付近で列車から降りた一家は徒歩で国境を越え、6日にドイツ・フランクフルトに到着した。シリアを脱出してから2か月、3800キロの苦難の旅だった。
マネルさんは「長く困難でした。とても困難でした。でも嬉しい、とても嬉しい。家も国も多くのものを捨ててきました。子どもたちと新しい人生を始めたいです」と話した。
日本の難民受け入れ実績―5000人申請にたった11人
ところで、日本は昨年、難民申請された件数5000人のうち、認められたのは11人、0.2%だった。シリア人難民だけ見ると、難民申請した60人中たった3人だ。NPO法人「難民支援協会」の石川絵里代表理事がこう訴えた。「シリア問題は遠い国の遠い出来事というより、地球規模の課題になっています。どう手を差し伸べていくか、政府に検討して頂きたい。日本で認められない難民は国には帰れないので、第三国に行くしかありません。カナダへ渡った人もいます」
青木理氏(フリージャーナリスト)「日本はいくらなんでもひどすぎますよ。安倍さんが積極的平和主義と言うなら、難民を受け入れ安住の地を提供する努力も積極的平和主義でしょう」
赤江珠緒キャスター「なぜ日本は国際レベルになれないのですかね。ドイツができるのに、なぜ日本はできないのでしょうか」