2020年東京五輪大会組織委は9月1日(2015年)、佐野研二郎氏デザインのエンブレムの白紙撤回を発表した。エンブレム選考に当たった審査委員会の代表の永井一正氏(札幌五輪エンブレムの作者)が初めて取材に答え、問題になった「『デザイン変更』の経緯を全く知らなかった」と驚くべき証言をした。
初めに佐野研二郎ありきだった大会組織委
組織委の依頼で永井氏ら8人のデザイナーたちが公募作品の選考に当たった のは、昨年11月だった。作者の名前付きで並べられた公募作品104点から投票で絞り込み、2日かけて佐野氏の作品を選んだ。しかし、その後は「国際商標上のひっかかりがあって」とは聞いたものの、修正の経過は知らされなかった。
修正は国際オリンピック委員会(IOC)からの「類似のものが複数ある」という指摘を受けたためで、組織委のマーケティング局と佐野氏だけで行った。修正されたものは今年2月、組織委の森喜朗会長と武藤敏郎事務総長が見た。2人が「躍動感がなくなった」と指摘したためさらに修正されて、発表作となったのだった。
永井氏は「発表の1週間前まで変更を知らなかった。選んだものとは異なっていた。Tの文字がなく、赤丸の位置も違っていた」という。委員の中から「修正は認められない」と異論も出た。コンセプトまで変わったという指摘もあった。そのコンセプトについて、佐野氏は「1964年の東京五輪のエンブレムからイメージをふくらませた」と話す。亀倉雄策氏作の大きな日の丸を指すが、佐野氏のオリジナルには大きな円はどこにもない。
この修正の過程が表に出たのは、模倣疑惑を払拭するために組織委が3つを並べて見せたからだ。これがやぶ蛇で、新たな疑惑と完全なパクリがひとつ暴かれてしまった。公募で落選した古平正義さんは、修正前と後では「別ものですよ。4つの部品のうち、元のままは真ん中の黒いところしかない」という。端から佐野氏ありきだったのではないかという疑念にもつながる。
デザイン会社社長「お仲間じゃないと選ばれない」
最終決定はだれの責任で行われたのか。デザイン会社代表の津久井将信氏は「業界の体質があるんです。北京五輪のエンブレムはだれでも応募でき、1万点から選ばれた。今回は応募104点です」と批判する。応募資格は「7つの指定広告賞を2回以上受賞した者」というきびしいものだ。「賞をとる人は同じ顔ぶれ。審査員も同様。ある種のコミュニティーに属していないといけない、不公平性がある」(津久井氏)
今回の騒動では、インターネットの検索能力のすごさが際立った。次から次と似ているものがひっかかる。これを拡散したのもネットである。デザインの世界では、ネットで資料を収集し、これを参考に著作権を守りながら自分のデザインを作っていくのはごく普通のことだという。あるデザイン会社では、そうしてできた作品はまず特許庁のデータベースで国内商標と照合する。さらに専門家の手で海外のチェックもする。「あとで問題になると客に迷惑がかかるから」と津久井社長はいう。それがデザイナーの矜持だろう。佐野氏は恐ろしく杜撰だったということか。
もしベルギーのデザイナーが声を上げなかったらどうなっていたか。他のパクリも表に出ず、エンブレムも栄光に包まれていたに違いない。いわば瓢箪から駒。よかったのか悪かったのか。第2幕を待つことにしよう。
ヤンヤン