どうしても1967年の岡本喜八版と比べてしまいがちだ。「どちらが史実に忠実か」「どちらが優れているか」「どちらが分かりやすいか」。しかし、ことさら比較することはない。まったくの「別物」として鑑賞すればいい。岡本版が「ドキュメンタリータッチ」だったとすれば、こっちは「ヒューマンタッチ」である。
半藤一利氏の原作ではほとんど描かれていない主要人物の日常生活が丹念に描かれている(天皇も雑炊を食べていたのか!)。私は岡本版を封切り当時見た。反乱軍はファナティックだったし、なぜみんな自決しなければならなかったのかと暗澹たる思いをした。今作はむしろ清々しい感じだ。人名のテロップもないし、ナレーションもない(「その日」になると時間経過を示すテロップは出る)。そして、よりヒューマンなものにしているのは随所に織り込まれる思わずクスリと笑ってしまうシーンだ。鈴木貫太郎首相の耳が遠い仕草、侍従たちの世間とズレた言動「ごきげんよう」、そして天皇の口癖「あっ、そう」・・・。
「本土決戦派」を抑え込め
昭和天皇(本木雅弘)、阿南惟幾陸相(役所浩司)、鈴木首相(山崎努)の3人を中心として物語は展開する。凛とした天皇、実直な陸相、老獪な首相として描かれている。阿南はクーデターを阻止するために「徹底抗戦派」として振舞う。陸軍省の会議を中座して、「ほとんどは終戦反対だ」と将校たちに嘘の電話までする。しかし、将校たちが「本土決戦」を迫ると、「納得できないのなら、私を斬れ!」と一喝する。「終戦派」と「本土決戦派」は対立し、「あと2000万人の特攻を実行すれば勝利できる」という暴論まで飛び出す。
松坂桃李が演じた本土決戦派のリーダー・畑中少佐は1度は激昂するが、あとは終始冷静である。天皇と皇居を護衛する近衞師団の森師団長を怯むことなく一発で射殺する。岡本版の畑中(黒沢年男)はひたすらは狂気じみていた。畑中らはニセの命令を出して近衞師団を動かし、皇居を占領して天皇に翻意を迫るクーデターを企て、「終戦の詔」が録音された玉音盤を必死に探し奪取しようとする。
日本放送協会(後のNHK)が畑中たちに占拠され、「徹底抗戦」の声明を流そうとする。局員の保木令子(戸田恵梨香)はとっさの判断で電気の巨大なブレイカーを次々と全部落とし、反転しないように紐でグルグル巻きにしてしまう。畑中はマイクの前で演説するが、それは放送されていないのだった。「反乱」はまたたく間に鎮圧され、阿南は責任を取って自決する。決起に失敗した畑中も「玉音放送」の直前、皇居前で自決するのだった。