「いとこい」尊敬しているはずの又吉。ひと言ことわりを入れるべきじゃなかったか
芥川賞を受賞し、いまや国民的作家となった又吉直樹氏にも「盗作疑惑」があることをご存知だろうか。発端は、先日、名古屋の元テレビ・ディレクターだった友人からこんなメールが来たことからである。
「昨日京都の行き帰りで『火花』を読みました。とんでもないもの(私にしてみれば)を見つけてしまいました。『火花』の57ページから59ページにかけて。主人公の徳永が先輩漫才師であり師匠と仰ぐ神谷に電話するシーンです。
「一緒に飯食おうや」と言われた徳永が、好きなものは「鍋」ですと答えた後のやりとりが、関西漫才の至宝・夢路いとし喜味こいしさんの十八番であった「ジンギスカン料理」からの完全なパクリなのです」
彼は漫才や落語に詳しく、去年(2014年)、立川談志さんを主人公にした小説を上梓し話題になった。その彼が「火花」の中に「盗用」があるというのである。私もうっかりしていたが、たしかにこの漫才は聞いた記憶がある。
「君が好きな食べ物は?」から始まる話で、「鍋!鍋」と相方がいい、「丈夫な歯ァしとるねェ。ぼくら歯ァ弱いからイカンけどね。あのォ、鉄の鍋と土鍋とどっちがおいしいんですか」と展開していく。「鍋じゃなくて鍋の実を食べるの」「鍋のどこをむいたら実が出てくるの?」。とんちんかんで軽妙なやり取りが絶妙だった。
盗用は言い過ぎだろうが、何しろ「火花」は芥川賞をとってから200万部を超え、これを掲載した『文藝春秋』は100万部を刷り、雑誌にしては珍しく増刷したというのだから、国民的関心事になっていることは間違いない。その本に「瑕疵」があるというのだから捨ててもおけまい。
岩波書店が出している『いとしこいし漫才の世界』(2004年)を読んでみた。たしかに「ジンギスカン料理」というタイトルがついている。一読、又吉氏がこの話からネタをとっているのは間違いない。作は西村博とある。
又吉は先輩・神谷とのやり取りの前に、「子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報が報じられた」と、偉大な漫才師の死に触れている(夢路いとしは2003年没。喜味こいしは2011年没だから、この大師匠はこいしのほうだろう)。どこかのインタビューでも「いとこい」さんを尊敬しているとしゃべっていたから、2人へのオマージュとして書いたのであろうと推測はできる。
だが、「火花」の300万読者のほとんどは又吉の創作だと思って読んでいるはずだ。巻末にも出典は明らかにされていない。これがノンフィクションなら完全に「盗作」だと指摘され、受賞は見送りになる。
私のジャーナリストの友人の意見はこうだった。「いくらなんでもあの有名なネタを盗用して気づかれないとは考えんでしょう。ひとこと説明があってもいいのかもしれないが、それは野暮だと又吉も編集者も考えたのかもしれない。『パクリ』だと騒ぐと、かえって『わかってないねえ』といわれるような気がする」
真っ当な考えである。だが、と私は思ってしまう。これは難しい問題だが、ある作家が「努力とはバカに与えた夢」だと、立川談志の「やかん」からと引用を明示しないで書いた場合、ふざけるなと袋だたきにあうはずだ。ビートたけしが漫才コンビを組んでいた時代の「赤信号みんなで渡れば恐くない」を、ある作家が文中の主人公の創作として書いたら、誰でも知っているフレーズだからいいんじゃないとなるのだろうか。ならないはずだ。
それに、「いとこい」の舞台を見たり聞いたりした人はもはやごく少数で、今の若手芸人でも知らないのがほとんどだろう。大師匠とリスペクトしているのなら、最低限、巻末にでも「あのジンギスカン鍋のやりとりはいとこいさんの漫才から拝借しました」と出典を明らかにするべきだと考えるが、諸兄はいかがだろうか。