出版社系週刊誌が元気だったあの頃!「週刊新潮」世間をあっと言わせた「逆張りスクープ」
今週は『週刊新潮』が「3000号記念」(440円)の別冊を出している。昭和31年(1956年)に出版社系一般男性週刊誌として初めて出された週刊新潮は、当時としては革命的な雑誌だった。
新聞社と違って、人も情報も少ない週刊誌が、当時100万部を誇っていた週刊朝日などの新聞社系週刊誌に対抗していけると考えた人は週刊新潮編集部でも少数派だったであろう。だが、「選択と集中」で、新聞批判とスキャンダルを柱に、あっという間に新聞社系を抜き去り出版社系週刊誌の全盛時代を築く。
今でも語りぐさの週刊新潮流スクープがある。昭和33年の全日空下田沖墜落事故のときだったと思うが、週刊新潮の記者が現場や全日空に駆けつけたが、新聞社が漁った後で何もない。仕方なく週刊新潮は同機に乗るはずだったが何らかの事情でキャンセルした人たちを探し出し、「私は死神から逃れた」とタイトルをつけた特集を組んだ。大ヒットだった。この別冊でも、その名企画を真似て御巣鷹山に墜落した日航機に「乗れなかった」人たちの「後半生」という特集を組んでいる。
小沢一郎に田中角栄を語らせ、プライバシーをまったく覗かせなかった役者・渥美清や、3000号を彩った人たちのワイドを組んでいるが、残念ながらかつての週刊新潮の切れ味や週刊新潮ならではのスクープはない。
時代が週刊誌的なスクープを必要としていないのだろうか。それとも週刊誌の劣化が進んでいるからだろうか。週刊誌を待ち遠しく読んだあの時代は2度と帰らないのか。猛暑のなかガリガリ君を囓りながら考え込んだ。