ふる里を遠く離れ避難を余儀なくされている人たちが、今なお8万人近くいる。あれから4年4か月、かけがえのないものを奪われ被害者たちの喪失感、苦しみは続いている。そうした人々から「あのバラ園のバラをもう一度、生で見たい」という声が上がっている。
バラ園とは、バラの国際会議で「日本を代表するバラ園」と評価された福島・双葉町の「双葉バラ園」である。ほとんどが帰還困難区域に指定され、いまだに除染の方針も決まらず帰還のメドすら立っていない双葉町の一角にある。福島第一原発からは約8キロ、広さは6ヘクタールあり、個人経営としては国内最大だ。かつては750種類、7000株のバラが咲き、年間5万人の観光客が訪れる双葉町自慢の観光スポットだった。
岡田勝秀さん半世紀かけて家族と育てた750種類、7000株
このバラ園を作ったのは園主の岡田勝秀さん(71)で、17歳の時にバラに出会って心を奪われ、以来、半世紀をかけて家族と育ててきた。バラをより美しく見せたいと庭園のデザインにも取り組んだ。それも今は雑草が生い茂り、すべてが朽ち果てたままだ。原発事故がすべてを奪っていった。
岡田さんはバラ園の状態を確かめるために、4か月に1度は訪れることにしている。この日、目にしたのは茂みの中で深紅の花びらをやっとの思いで開いた一輪だった。岡田さんがつぶやいた。
「何とか咲いてみたという気持ち、バラの気持になったら泣いても泣き切れないですよ、今の状態は。今まで頑張ってきたのはなんだったのかなと、わが人生どうだったのかなと、そんな思いです」
バラの気持ちと自分の思いが重なった。
仕事を失った岡田さんは、いま茨城県つくば市で町が用意してくれた仮住まいに、妻の和子さんと暮らしている。バラ園は2人の息子を含め1家4人で運営していたが、あとを継ぐはずだった息子たちは別の仕事について、離れ離れの生活だ。
その仮住まいにある日、アメリカ人女性の元ニュースキャスター、マヤ・ムーアさんがやって来た。以前から岡田さんを応援してきたムーアさんが、この日持ち込んだのは「別の土地を探しもう一度バラ園をはじめないか」という提案だった。しかし、岡田さんは「その言葉はありがたいけど、今やる気は全然ない」とにべもなかった。
最大の理由は東京電力との賠償交渉が進まず、資金のメドが立たないことだった。東電にとってバラ園の賠償は前例がない。基準ではスギが植わっている人工林と同じ扱いで、岡田さんにとって納得できるわけがなかった。バラは非常にデリケートで、1日でも手入れを怠るとうまく育たなくなる。岡田さんにとって娘のような存在で、「バラ園をおカネにすることを考えると非常に苦痛になります。娘の命を奪われたっていう感じだ」