任天堂を世界の「Nintendo」に押し上げた岩田聡社長が先週11日(2015年7月)、胆管腫瘍のため死去した。まだ55歳の若さ。ゲーム制作会社のプログラマーからいきなり取締役として任天堂に入社した。02年42歳の若さで社長に就任し、04年には携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」、06年にWiiを作って世界のゲームをリードした。
プログラマーからいきなり役員・社長
「目指すところは、いかにゲームをやる人が増えて市場が拡大していくこと」(2006年9月Wii発表)
09年3月期には過去最高となる約1兆8386億円の売り上げを達成した。ネットのNintendo Directでは、「ニンテンドーの岩田です」と気さくに呼びかけていた。常にこういっていた。「立場は社長でも、頭はゲーム開発者、心はゲーマーです」
司会の小倉智昭は話をしたことがあった。「ゲームのプログラマーとして大変優秀な人で、何しろ諦めるということをしない。きょうの夜までにというと、それを作っちゃう。そういう人でしたね。その手腕を買われて任天堂の社長に。入社2年ですからね」
「異色の経歴」東工大からゲームソフト会社入社
木下康太郎アナは「ゲーマーの心をもったカリスマ社長だった」と、欧米のメディア、ユーザーから惜しむ声があがっていると伝えた。経歴を見ると、82年に東京工業大学を出てゲームソフト開発会社に入社したとある。この時代に東工大出がゲームへというのがどれだけ異色だったか。まだゲームセンターの時代で、おもちゃみたいなものだった。
木下は「任天堂が岩田さんの作り出したものを継承して、さらにいいものを作り出してほしい」とあまり関心なさそうに言う。
小倉「任天堂は同族企業だったのを岩田さんが変えた。岩田さんを失って今後どうなるか。見守って行きたいと思います」
経営者が開発者であり、作った製品で遊ぶ人間であることが、どれほど貴重な資質か。そうそう見つかるものではない。