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太田出版・岡聡社長の無知で無神経な例え「野菜切るのに切れ味いい包丁提供」

   内容は一言でいえば手記ではなく『できの悪い』私小説である。亡くなった祖母の死やナメクジの解剖、猫を殺すシーンは克明に書いているのに、事件については拍子抜けするぐらい触れていないのは、Aと担当編集者にこの本をなぜ出すのかという根本的な問題意識が薄いからであろう。本の中でAが自分はカネに対する執着心が強いといっているが、本を書いたのはカネを稼ぐことが目的だったのではないのか。「僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした」という切実なものはほとんど感じられない。

   これが18年もの間、自分が犯した罪と向き合ってきた人間の書いたものなのか。Aと編集者が真剣に彼が起こした事件について議論を積み重ねた痕跡は読み取れなかった。こういう箇所がある。十代の少年から「どうして人を殺してはいけないのですか?」と聞かれ、今の自分ならこう答えるという部分である。

<「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
   哲学的な捻りもない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見つけた唯一の、僕の『答え』だった>

   お前は、自分が殺した被害者や遺族の「苦しみ」は考えたことはないのか。思わず本に向かって叫んでしまった。第二部は母親や弟たちへの愛を告白しているが、自分が殺めた2人への懺悔の言葉は限りなく軽い。

   私は以前からいっているように、こうした本を出すべきではないというつもりはない。卑劣な殺人犯の手記であろうと出すことを規制してはいけない。だが、そうしたことを踏まえて考えてみても、この自慰行為のような独りよがりの未熟な本をこの段階で出すべきではなかったと、一読して思った。まれに見る「駄作」を世に出してしまった出版社と編集者は、出版界が劣化していることの象徴である。

   『週刊新潮』が太田出版の岡聡社長をインタビューしている。なかなか興味深い。岡社長は<「野菜を切るための包丁を売ったのに、その包丁が人殺しに使われてしまった。それで、『売る時に人殺しに使われると思わなかったのか』と責められてもねえ。我々は野菜を切るために一番切れ味の良い包丁を提供した。どこのものよりも野菜を切るのに役立つと思って出版したんです」>

   バカないい方をしたものだと思うが、週刊新潮もこう難じる。<彼は知らなかったのだろうか。事件当時、少年Aが犯行声明に「汚い野菜共には死の制裁を」と記していたこと。事件後に母親と面会した少年Aが、「弱い者は野菜と同じや」と言い放ったと報じられていることを。つまり、被害者を「野菜扱い」していたことを・・・>

   週刊文春でノンフィクション作家の高山文彦氏がいっていることが的を射ていると思う。<金銭を得ることを最優先に考えたため、このようなレベルの低い代物が出来上がったのでしょう。(中略)本来、出版社の大人たちがAに対し、世の中の道義・論理を諭すべきなのに、一緒になって金儲けに走っていて、呆れる他ない>

   ネットではAの実名はもちろん、彼が今どこにいるのか探しが始まっている。本を出したため、母のように慕っていたという精神科の女医や支援してくれていた人たちからも批判され、再び世間の好奇の目にさらされることになったAのこれからは、これまで以上に茨の道が続くことになる。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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