神戸の連続児童殺傷事件の加害者「元少年A」の手記「絶歌」が5万部増刷され、きょう25日(2015年6月)に配本された。被害者家族の感情や商業主義への批判が渦巻くなか、初版10万部が売れたという現実がある。言論の自由と感情をどう考えるか、社会も報道もきちんと詰め切れないところがあるようだ。
全文コピー公開で「拡散して!」
発売以来2週間で5万部の増刷とは大変な売れ行きである。書店も販売を自粛するところ、控え目に1冊づつ書棚に並べるところ、おおっぴらに平積みするところとさまざまだ。「若い人たちが買っていく」と書店はいう。
通販サイトではずっとランキング1位だ。意図は不明だが、ネット上で手記の全文を掲載したものも現れた。「個人的に楽しんでいただいても、拡散していただいても構いません」とは、著作権もなにも無視のヤジ馬そのものである。
19日には兵庫・明石市の泉房穂市長が「出版そのものが許されない。明石市(図書館?)は買いません。本屋さんは売らないでください。市民も買わないでください」と声明を出した。
これも奇妙なことだが、東京の書店では「1人で10冊5冊とまとめ買いが多かった」という。明らかに転売が目的で、現にネットでは定価1620円の2倍以上の3500円の値がついて売られていた。転売しているという男性は「3900円です」「経験上わかってます。売れてます」「利益がでればいいだけ。これだけを特別扱いしたわけじゃない」と平然と言う。
少年院で指導した童話作家・森忠明氏「なぜやったのかという自己分析なってない」
読んだ人の反応はさまざまだ。事件当時10代でいま子どもがいる30代の女性は「当時から知りたかったことの半分くらいはわかった気がしました。ただ、被害者を冒涜するような描写があって、自己満足で書いたんじゃないかと、不信感と怒りを感じました」と話す。
童話作家の森忠明氏(67)は少年院で元少年Aを指導していたとき、Aから小説のようなものを受けとった。それからみると、14年経っても「変化してない。見たことを書くのはうまいが、肝心のなぜやったのかという自己分析が全然なってない。悪い意味での自己正当化が臭っちゃうんです」という。犯した罪と向き合っていないというのだ。
話は多額の印税にも向けられる。アメリカの「サムの息子法」は印税収入は被害者に行くとか、それに反論もあるとか。しかし、そんな話は枝葉末節だろう。加害者が書きたいというのを抑えるのは難しい。被害者の感情だってどこの国でも同じだろう。
司会の小倉智昭「更生をした人が本を書いているんだから、むずかしい」
為末大(元プロ陸上選手)「世の中には許されないことがあるんだということを理解してほしいですね」
小倉「自分を正当化してるとしか思えない」
だからといって、図書館が公開をひかえるとか、買うな書くなというのは話のスジが違う。言論の自由とはそういうものだ。