<自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの『生きる道』でした。
僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。
本を書けば、皆様をさらに傷つけ苦しめることになってしまう。それをわかっていながら、どうしても、どうしても書かずにはいられませんでした。あまりにも身勝手すぎると思います。本当に申し訳ありません>
1997年の2月から5月にかけて、世を震撼させた酒鬼薔薇聖斗事件を覚えておいでだろうか。当時14歳だった少年Aが、山下彩花さん(当時10歳)と土師(はせ)淳君(当時11歳)をむごく殺した神戸連続児童殺傷事件だ。
あの事件から18年という月日が経ち、長い沈黙を破ってAが太田出版から「絶歌」を6月11日(2015年)に発表して大きな波紋を広げている。冒頭に引用したのはその本の巻末にある「被害者の家族の皆様へ」と題された一文である。
とりあえず読んでみるかとアマゾンを探したら、在庫はなく中古品として3780円の値がついている。バカバカしいのでやめた。ブックオフにでも出てきたら買おう。太田出版によれば初版10万部だが、村上春樹本のような売れ行きで重版5万部をかけたそうである。
『週刊現代』『週刊文春』『週刊新潮』が大きく取り上げている。週刊新潮のタイトルは「気を付けろ!『元少年A』が歩いている!」。これは1981年にフランスで女子留学生を殺してその肉を食った佐川一政氏が、心身喪失状態での犯行と判断されて不起訴処分になり、日本へ戻ってきたとき、新潮社の名編集者・斎藤十一氏が付けた「気を付けろ!佐川君が歩いている」は名タイトルといわれているが、それを真似たものだ。
週刊文春によれば、もともとは幻冬舎の見城徹社長のところにAが手紙を送ってきたことから始まったという。幻冬舎は社内に特別チームを立ち上げてAに連絡を取り、初めて会ったのは2013年のはじめだという。「出すにはあまりにもハードルが高すぎたので」(見城氏)フィクションでやらないかといったが、Aはノンフィクションに強いこだわりをもっていたため、手記の形にすることになったようだ。
地方の都市で派遣労働をしていたAだが、書くことに専念したいというのでカネを貸した。総額は400万円ぐらいになるという。何度も書き直しをさせたが、なぜか幻冬舎では出さずに太田出版へと振るのだ。それには今年1月(2015年)に週刊新潮に、幻冬舎がAの手記の出版に動いていると書かれたことが影響しているのではないか。Aの手記を出せば話題になり売れることは間違いないだろうが、出版社に対する風当たりも相当なものになると判断したのであろう。
ともかく太田出版はそれを引き受けた。以前「完全自殺マニュアル」を作ったことのある落合美砂氏が担当した。「私は編集者として一言も本文に言葉を加えていません。直す時は本人に伝えて彼が自分で直している」そうだ。
この本に対する批判の中で多いのは、出版社やAが本を出すに当たって被害者側の了解を取っていなかったというものだ。その理由を落合氏は「彼がもっとも恐れていたのが、反対されて出版を止められることだった」からだと話しているが、そうではあるまい。出版社側も10万部刷った本が売れなくなることを恐れていたはずだからだ。
定価は1500円で印税は10%程度だというから初版だけで1500万円になる。Aの両親は被害者への賠償金として総額約2億円を払うことになっているそうだが、この印税がその一部になるのかはわからないようだ。
この本が出たことで被害者の親たちが憤り、本の回収を求めたのは当然としても、担当弁護士や有識者からも批判されている。<「ようやく遺族の方々に対して、誠意が伝わってきたのではないか。今回の出版は、そういう感触を得られた矢先のことで、これまでの関係者の努力を無にしてしまった」(Aの両親の代理人を務める弁護士)
「全くの嘘を書いているとは思いませんが、真実を余すところなく書こうとしているとは思えず、何かしら意図をもって書かれた印象を受けました」(Aの弁護団長を務めた野口善國氏)>
物書きたちは「読むに値する書きぶりだと思った」(関川夏央氏)と一定の評価をする人がいる一方で、「A自身が、冷静に自己分析できないまま執筆した本は、まだ出されるべきではなかった」(久田惠氏)、「第一部の、どうだ見てみろと言わんばかりの装飾を凝らした文章に吐き気をおぼえる」(高山文彦氏)というような批判も多い。
読む読まないは世間が判断!大手書店の「こんな本は店に置かない」読者への背信
先に書いたように、私はこの本を読んでいないので内容をとやかくはいえないが、いくつかこの騒動でいっておきたいことがある。まず、こんな本を出版すべきではないという意見には与しない。これまでも連続射殺魔・永山則夫の本(これは完成度の高いものだったが)や佐川一政の本、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤の本も出版されてきたではないか。
私が現役の編集者だったら、この本を出版することに躊躇することはなかったと思う。もちろん事前に遺族や関係者たちにできうる限りの理解を求めることはいうまでもない。今回、太田出版がこのやるべきことをやらなかったことは、批判されて然るべきである。話題にして売りまくればいいというホンネが透けて見えてしまっている。
もう一つ重要な点は、いくつかの書店が「自主的」にこの本を取り扱わないということである。啓文堂書店を運営する京王書籍販売(東京・多摩市)は、遺族の心情を考慮してこの本を取り扱わないとしているそうだが、私には理解できない。書店は、裁判所が発売禁止にしたり、出版社が回収するといった書籍以外は置くべきであるこというまでもない。読みたい読者がいる限り、書店が勝手に判断して読者の手に渡らないようにすることは言論表現の自由を侵すことで、やってはいけない。
かつて私にそういったのは、酒鬼薔薇聖斗の顔写真を載せた『FOCUS』が批判され、多くの書店が『FOCUS』を置かなかったとき、書店がどの本がいいか悪いかを決めてはいけない、読者のニーズに応えるためにあるのだからと『FOCUS』を置き続けたジュンク堂書店の社長だった。
多様な言論が民主主義を担保するのだ。卑劣な殺人犯の手記であろうと、その善し悪しを判断するのは読者であるべきだ。