神戸児童殺傷「酒鬼薔薇聖斗」手記!「書くことが自己救済」印税1200万円

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   18年前、神戸で連続児童殺傷事件を起こした少年A、「酒鬼薔薇聖斗」はいま32歳になった。その彼がきのう10日(2015年6月)、手記「絶歌 元少年A」(太田出版)を出した。初版10万部で書店には問い合わせが相次ぐ。表紙には「1997年6月28日 僕は、僕ではなくなった」とある。本文の書き出しの文章だ。冒頭の見出しは「名前を失くした日」。「少年A」になった日のことを指す。

   事件の被害者家族は出版中止と回収を求めている。

医療少年院を出所後は引っ越しアルバイト、廃品回収、溶接工

   神戸市須磨区で小学生2人を殺害し、遺体を切断して小学校の校門に置き、「酒鬼薔薇聖斗」の名前で「ボクを止めてみたまえ」と警察に挑む前例のない事件だった。手記には、医療少年院を出所後、1人暮らしをしながら引っ越しのアルバイト、廃品回収、溶接工などを経験したことが書かれている。

「少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました」「人生初の労働だった。キツかった。とにかくキツかった。肉体的にも、精神的にも」

   事件については、「(殺害した)淳君のお父さんと、彩化さんのお母さんが、事件のあと手記を出したんだ。(中略)二冊とも読み終えると、喉がカラカラに渇いていた。(中略)その日の夜から、僕はほとんど眠れなくなった。布団に入ると、犯行時の様子が繰り返し繰り返しフラッシュバックした」

   なぜ手記を出そうというのか。「僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした」「もうこの本を書く以外に、この社会の中で罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとうみつけることができませんでした」

   そして、「書くことが唯一の自己救済だった」と書いている。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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