漫才コンビ「今いくよ・くるよ」のいくよ(本名・里谷正子)さんがきのう28日(2015年5月)、胃がんのため大阪府内の病院で亡くなった。67歳だった。 80年代の漫才ブームのなかでも異彩をはなつ女性コンビだった。2人とも「命ある限り漫才をしたい」といっていただけに、残されたくるよさんがかわいそうだ。
手術せず抗がん剤治療―相方くるよ付きり看病
胃がんが見つかったのは昨年9月だった。抗がん剤治療を選び、手術はしなかった。12月に復帰したとき、「この日を迎えられたのも、くるよちゃんが毎日介護にきて励ましてくれ、心の支えになってくれたから」と話していた。2人とも独身だ。
そのとき、くるよは「1人では漫才できません。ずーっと漫才やり続けたいな」としゃべった。いくよも「命あるかぎり。それしかないし、いまさら女優にはなれへんし」と笑わせた。今年2月の「徹子の部屋」で、いくよは胃がんの話をして「一番聞きたくない言葉。父親も兄もこれで亡くなってる」と語った。
最後の舞台は今月11日の大阪・なんばグランド花月だったが、関係者は「舞台を降りるとつらそうだった」という。
高校ソフトボール部のキャプテンとマネジャー
高校のソフトボール部でいくよはキャプテン、くるよはマネジャーだった。卒業後、いくよはOLになったが、くるよは漫才の今喜多代に入門する。1973年にいくよを引っぱりこんで漫才コンビを結成した。以来42年だ。
長いこと鳴かず飛ばずだったが、くるよが太目のお腹をたたいたギャグが受けて人気上昇。81年の「花王名人大賞・最優秀新人賞」「上方お笑い大賞・金賞」を皮切りに数々の賞を受け、折からの漫才ブームの頂点に立った。
09年にはくるよが心臓病でステージで倒れ、この時はいくよが介護した。
司会の羽鳥慎一「徹子の部屋がわずか3か月前で、おどろきました」
赤江珠緒キャスター「お笑いの世界でも、仲のいいお2人でした」
長嶋一茂(スポーツプロデューサー)「痛みを感じたときはかなり進行しているといいますね」
吉永みち子(作家)「わかってみると、相当しんどかっただろうなと思いますね。それでも仕事があるというのはすばらしい。舞台があるから生きるエネル ギーにもなったんでしょうが、これからくるよさん、寂しいだろうな」
羽鳥「声のかけようがないですよ」