「瀬戸内寂聴」死に損なって活動再開!「生かしていただいている。ガンを見つけてくれたのも仏様」

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   作家の瀬戸内寂聴さんが先月(2015年4月)、ほぼ1年ぶりに法話と執筆活動を再開した。胆のうがんと原因不明の激痛で寝たきり、ペンも持てない10か月を経ての再起 だが、15日(2015年5月)で93歳になった。その心境を国谷裕子キャスターが聞いた。

「自分が死ぬのはいいけど、好きな人愛する人に死なれるのがいちばんキツい」

   「1分と座っていられない。食べるのも寝たまま。こんな痛い目にあわせて『神も仏もあるもんか』って、治ったら法話でいってやろうと思っていた」と笑う。「それが4月に入ってよくなった。普通、92歳で大病すれば死ぬのが当たり前。だから生かしていただいているんだと。ガンを見つけてくれたのも仏様だと思ってます」

   再開した法話では「死に損なってこの日を迎えることができました。みなさまが来てくださるのも、私が生きているのも当たり前だと思ってました。きょう初めてお会いできるのが不思議なんだと、ありがたく思います」と語った。

   5年前にも背骨を圧迫骨折した。東日本大震災が起こり、完治していないのに被災地をまわって励まして歩いた。法話は600回を超える。今回の闘病中も、なぜ生かされているかを考え、自分には書くことしかないとリハビリに励んだという。

「長く寝ているとウツになる。『何もしないで生きているの嫌だな』と。これがウツだと気づいて、ペンは持てないが本は読める。本を読んで、小説のことを考えて、だんだんウツに打ち勝った」

   文芸誌に発表した復帰作は「どりーむ・キャッチャー」。深夜、電話で男に愛を迫る91歳女性の話だ。夢に出てくる昔の男たちはみな死んだ時の顔で老けていない。原稿用紙5枚を1日で仕上げた。「うまく書けて、色っぽい小説になって嬉しかった」

「長生きしていちばん嫌なのは、好きな人、愛する人に死なれること。自分が死ぬのはいいけれど、これがいちばんきつい」

「私小説でなくどっしりとしたものを書きたい。戦時中の体験を書き残したい」

   28歳で作家になり、夫と子どもを捨てて次々と恋愛を重ねた体験を書いた私小説、女性作家の評伝、源氏物語の現代語訳など419作品は、生きること愛することを追い続けた結果だ。文化勲章を受けた06年のインタビューで、「理想の死に方」として、「ペンを握って死にたい」といっている。書いてるときにバタッと死ねたら最高だなぁ」

   若者へのメッセージも「青春は恋と革命です」とストレートだ。「若い男女は恋に燃えなきゃつまらないじゃないですか。草食なんておかしい。何をしたいかをみつけて突進すること。革命を起こさないとできない。そして世界の中の自分を考えると、世の中に目が向く。自分で責任もてば何をしてもいい」

「歳をとって下手になったり書けなくなったりは1度もない。書いたものが色っぽくなると、まだ大丈夫だなと。何もしないと色っぽくなる。してたら力をとられるから、書くものは色っぽくなくなる」

   思考力や記憶力の低下もないという。「人間の幸せは自由になること。法話でもいうんです。人のいうことなんか聞かないでいい。セックスも自由でいい」

   93歳はどういう年かと聞かれて、「短かった。90年なんてアッという間。そして一番何が残るか。それはまだわからない。死ぬ時に書きます。書けなかったら口でいう」

   墓にはなんと書くのか。「愛した 書いた 祈った 寂聴」

   いま最後の小説を書きたいと思っているという。「私小説でなく、どっしりとしたものを書きたい」。今年は終戦から70年。戦時中の体験を書き残したいともいっていたと国谷はいう。

   まあ、なんというエネルギー。だが待てよ。戦時中といえば、彼女は最初の夫、子どもとともに北京にいたはず。ひょっとすると、大河小説かな。彼女ならやりかねない。

ヤンヤン

*NHKクローズアップ現代(2015年5月14日放送「愛し 書き 祈る~瀬戸内寂聴 93歳の青春~」)

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