名医に殺される!遺族に訴えられた「神の手」慈恵医大・大木隆生教授・・・手術のリスク説明手抜き?

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   「医は仁術なり」といわれる。広辞苑には「医は人命を救う博愛の道である」ことを意味する格言とある。だが、このところテレビなどで取り上げられる「名医」たちは、難しい手術をこなせる「技術」にばかりスポットライトが当てられ、患者に対する「博愛」の精神が欠如している医者が多いのではないかと、『週刊文春』が特集を組んでいる。タイトルは「『名医』を疑え!」だ。

   トップに挙げられたのは、人工血管「ステントグラフト」の第一人者とされ『神の手』を持つとNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」も特集を組んだ慈恵医大・大木隆生教授(52)である。慈恵を卒業した大木氏は、渡米して学んだ医科大学でステントグラフト治療(大動脈瘤などの手術で、折りたたんだ人工血管を脚の付け根から通して血管を補強することで瘤の拡大や破裂を回避する)により名を挙げて、2006年に帰国して慈恵医大の教授に就任した。

   週刊文春によれば、その名医が手術した患者(死亡・当時74歳)の遺族から、8700万円の損害賠償請求訴訟を起こされているというのである。当該の患者の手術は10時間半にも及んだというから、相当な難手術であったようだ。手術の2日後に患者は亡くなっている。

   訴訟に至ったのは、術前の説明「インフォームド・コンセント」が十分ではなかったためという。手術死亡率について、開胸手術では20%、ステントでは2~3%だと説明されていたと遺族側は主張している。しかも「未承認の機器」を使ったのでリスクが高いはずなのに、そのリスクに対する開示はなかったと言っているそうだ。

   遺族側は、特注のステントグラフトを作製したメーカーが大木氏に「この特注品は試験をしておらず、予期せぬ危険が生じる可能性があることを、患者に対して必ず忠告しなければならない」と書いてある文書を入手しているという。

   これだけでも大木氏の『博愛精神』に疑問があるが、これまでも手術室で大木氏はゴルフのクラブを振り回してレントゲン写真などを見るためのシャーカステンというディスプレイ機器を割り、全身麻酔の患者に破片が飛べば大惨事になっていた非常識な『事件』も起こしていたという。

   大木氏は週刊文春の取材に、訴訟の事実は認めたが、こういっている。<「患者が亡くなった場合、全員が全員納得する医療を提供するのは至難の業です」>

   このほかにも、群馬大学病院第二外科助教・須納瀬豊医師の腹腔鏡下肝切除術で8人が死亡したケースでは、群大病院側が「全ての事例において、過失があったと判断された」という最終報告書を出したが、週刊文春は第二外科の責任者である診療科長の責任も問われなければならないのではと追及している。

   腹腔鏡手術を受けた患者11人が死亡した千葉県がんセンター、生体肝移植で4人が死亡した消化器疾患専門病院「神戸国際フロンティアメディカルセンター」なども取り上げている。

   医療に詳しいジャーナリストの鳥集徹氏は「ダメな名医」の見抜き方をこう話す。<「名医と呼ばれながら事故を起こしてしまう医師に共通するのは、患者に『簡単な手術』などと説明して手術に誘導していることです。(中略)私がほんとうに名医だと思う医師は、必ず『他の医者にセカンドオピニオンを聞くべきだ』と口を揃えます」>

   私の友人の外科医が「手術なんてさして難しくはない。大工仕事と同じだよ」と私にいったことがある。大工仕事を易しいといっているのではない。神の手などなくても一生懸命手術し、それでも助けられない命があるということである。

   自分は名医などとふんぞり返っている医者にろくな者はいないのだが、そうした連中を、ラーメンランキングの如く、名医のいる病院などと特集を組んだり、それを売りにする単行本を出すからつけあがらせるのだ。

   週刊文春は「失敗しない病院選びの最新5カ条」をあげている。(1)外科医は『エンジニア』(これは私の知人の外科医がいっていたことと同じ)(2)セカンドオピニオンに紹介状は不要(まったく違うクラスの病院やその地域と離れた病院へ行く)(3)質問・資料請求は遠慮せずに(これに応じない病院は?)(4)病院内の『空気』を読む(5)通える範囲に「かかりつけ医」を。人生持つべき友は医者と弁護士ですぞ。

二人の女に思われながら亡くなった愛川欽也・・・うつみ宮土理と42歳年下女優・任漢香

   先週、愛川欽也について少し触れたが、死んでみて、私の思ってた以上に知名度、人気が高かったことに驚いている。週刊文春は「愛川欽也 享年80 が愛した3人の『妻』」という特集を組んでいるが、長短はあっても各誌とも彼についての記事、それも「いい話」が多い。

   週刊文春によると、最初の妻は愛川が俳優座養成所時代に同期だった女性で、一男一女をもうけ、売れる前の愛川を支えた。しかし、20年後に離婚を発表し、その翌日に現在の妻であるうつみ宮土理(71)と再婚したが、持っていた豪邸も前妻に渡し、慰謝料も相当払ったと書いている。

   愛川とうつみの結婚生活はお互いがお互いを縛らない不干渉夫婦だったが、うまくいっていたそうだ。そこへ『第3の妻』の存在が発覚する。愛川のキンキン塾に所属する42歳年下の女優・任漢香(38)。当時、韓流好きが高じて韓国に留学中だったうつみは、「七十歳すぎて若い女の子と噂が立つなんて、キンキンかっこいい!」と、内心はともかく愛川を擁護した。

   愛川が製作した映画のほとんどで任が愛川の相手役を務め、中目黒につくった8億円といわれる「キンケロ・シアター」も、任に対する愛情からではなかったかという声もあるそうだ。だが、愛川の知人が「愛川が最も愛したのはうつみだった」といっている。菅原文太とは肝胆相照らす仲だったが、死ぬときは、二人の女性に思われて亡くなった愛川のほうが幸せだったのかもしれない。

   愛川と人気を競い合った大橋巨泉さんが『週刊現代』の連載コラムで、がんの転移のため4度目の手術をすると書いている。心配だ。われわれが青春だった時代が確実に終わろうとしている。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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