太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、天皇、皇后両陛下はきのう8日(2015年4月)からパラオ共和国を訪問している。南端のペリリュー島は最大の激戦地のひとつだった。天皇の慰霊の旅は、硫黄島(平成6年)、サイパン島(同17年)に次ぐ。戦後70年の節目、ひとつの区切りになる。
日本軍守備隊1万人の生き残り34人、米軍戦死者1700人の地獄の島
国際空港で両陛下は両国国旗を持った子どもたちに迎えられた。夜の晩餐会にはパラオのレメンゲサウ大統領夫妻だけでなく、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島の大統領夫妻も出席し、陛下は「先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います」とあいさつした。
かつては日本の信託統治領で、「日本政府は南洋庁を置き、昭和10年には島民よりも多い5万人の日本人が住んでいました」とも述べた。昭和13年の写真を見ると、通りは日本風で日本語の看板が並び、バスが走っている。太平洋戦争でフィリピンを守る要となり、サイパン、グアムを落とした米軍は1944年9月にペリリュー島に上陸した。守備隊1万人は洞窟にこもるなど1か月にわたる持久戦を展開したが、生存者はわずか34人という悲惨な結末を迎えた。米軍も1700人の死者を出している。
日本軍は事前に島民を避難させたため島民の被害は少なかった。親日感情が強いのにはそういうこともある。日系の島民も多い。陛下は早くから訪問を希望していたが、現地のインフラが悪く実現しなかった。今回は海上保安庁の最大級の巡視船「あきつしま」 (6500トン)を派遣し、これをホテル代わりにしてヘリコプターでペリリュー島と往復することで実現した。