東日本大震災からきょう11日(2015年3月)で4年になる。死者1万5891人、不明2584人、震災後の関連死3244人、なお23万人が避難生活をおくり、8万人が仮設住宅に暮らす。「あさチャン!」は岩手、宮城、福島の住民の胸の内を言葉にしてもらった。
漁協組合員、居酒屋女将、病院長、蒲鉾店おやじ、仮設住宅高齢者・・・
◆「人出不足と処理施設の遅れ」(気仙沼漁協・加藤秀幸さん)
2012年3月には「数量的には4分の1、金額では3分の1」といっていた。いまともに震災前の8割にまで回復したが、残る課題がこれだという。
◆「広がる格差に不安」(気仙沼水産加工業協同組合・清水徹二組合長)
加盟40社、うち9社が入る団地で、復旧の早い大手に対して、小規模には廃業の危機もある。「小さいところが光る技術をもってるんですよ」
◆「酒屋復活にめど!!」(浅野恵一さん)
気仙沼南町商店街は12年12月、復興商店街としてプレハブでスタートした。夏頃から常設の共同店舗建設が始まる。しかし、参加は53店舗のうち19店舗だけ。国の補助金があるとはいえ、自己負担は重いという。
◆「高台住宅へ早く行くべきだ」(仮設に住む菅野和子さん)
死者1601人、不明207人を出した陸前高田市。移転先が決まらず、あえて仮設に留まる人は多い。菅野さんは「早く家を建てたい」という。
◆「早く県内の除染をしてくれ!」(木幡仁さん)
◆「復興住宅を早く建ててほしい」(岡田貢明さん)
福島原発を逃れた大熊町の130人が会津若松市の応急仮設に住む。湿気が多く天井には黒カビ。「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさんは「格差社会が生まれてきている。金銭的に行き先が決められない人が大変です。とくに高齢者の声に耳を傾けて」という。
◆「我々東北人、負けないぞ」(大町病院・猪又義光院長)
◆「(関わってくれたすべてのみなさん)ありがとう」(看護師の蒲田有香さん)
南相馬市の大町病院は11年10月に看護師不足で小児科、産婦人科は開いていなかった。いま看護師は8割にまで回復し、スタッフに心の余裕もできた。「最近、笑顔が出てきた」と院長。
◆「御祝儀蒲鉾増産?」(気仙沼のかまぼこ店・尾形啓一さん)
ご祝儀用の手作り細工かまぼこは6店あったのが2店になった。震災後1、2年は売れなかったが、近年売れるようになった。街全体に活気が戻ったという。
死者1万5891人、不明2584人、関連死3244人、避難生活23万人
司会の夏目三久「4年経って、ようやく復興してきたと感じている人の数も増えてきているようですが、一方でいまだに23万人が避難生活をおくっているんですね」
キャスターの齋藤孝「いちばん大事なのはコミュニティーを建設することだと思います。人はコミュニケーションで気持ちを通いあわせて生きていますからね。この経験と知識を引き継いで財産にしていくことが大切だと思います」
取材した井上貴博アナが「住む人も変わる、環境も変わるから、それに慣れるのがやっとという印象ですね。慣れてからでないと先のことは考えられないんだと」
夏目「阪神淡路大震災からも20年という節目です。この経験と記憶を風化させてはいけません。語り継ぎ、次の世代に伝えていくことが、今を生きる私たちの責任だと思います」