長渕剛「妻・志穂美悦子入院中」自宅に通う冨永愛!太っ腹女房も今度ばかりは・・・

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   毎週、週刊誌を山ほど読んで評を書いているが、ときどきめぼしい記事がなく何を取り上げようかと悩むことがある。それとは逆にきょう5日(2015年3月)発売の『週刊文春』と『週刊新潮』の新聞広告を見てワクワクし、駅の売店で2冊を買うとホームのベンチですぐにページを繰ったのは久しぶりである。

   週刊文春には「長渕剛激白60分『弟子』冨永愛と『妻』志穂美悦子」がある。週刊新潮は予想通り、上村遼太君殺しの主犯、18歳の少年の実名報道があり、故・中川昭一氏の妻で農水政務次官の中川郁子氏の「不倫現場」、大塚家具の「公開親子げんか」と盛りだくさんだ。

   失礼だが、「他人の不幸は蜜の味」。まずは歌手・長渕剛家の「不幸」から見てみることにしよう。モノクログラビアに週刊文春の取材に答えているのであろう、クルマの前に長渕(58)が立ち、運転席から心配そうな顔をしている冨永(32)が写っている。

   長渕はいまさら説明するまでもなくミリオンセラー「とんぼ」で頂点を極めた歌手だが、95年には大麻所持で逮捕されている。弟分に元プロ野球の清原和博がいるように、やや言動に粗暴なところがあるようだ。もちろん既婚者で、妻は元女優の志穂美悦子である。

   冨永のほうは17歳でアメリカに渡り、「パリコレ」など世界を舞台にスーパーモデルとして活躍してきた長身の美女で、フランス人のパティシエと結婚して男の子をもうけるが離婚。その後は日本でタレント活動をしている。冨永は長渕を『師匠』と仰いでいると公言しているようだが、親しい人物にいわせると、「周囲で二人の関係を単なる師弟関係と見ている人はいませんよ」。すなわち男女の仲だといわれているそうである。

   以前から二人はお台場のホテルのスイートを利用しているという情報があり、週刊文春は断続的に取材を続けていたそうだが、この2月13日から取材を再開し、連日のように深夜、長渕邸へ現れる冨永の姿が目撃されたという。だが、長渕の家には妻がいるはずなのに、なぜかその姿を見かけないと週刊文春は訝っている。

   2月24日深夜、冨永が運転するクルマで長渕が自宅近くのコインパーキングに来たところを週刊文春が直撃する。長渕は冨永の家で彼女の息子と話していたと答える。「こんな深夜にですか」と聞く週刊文春に、「おかしくないよ」と語気を荒げる。その後、記者に「家で話そう」と豪邸に招じ入れ、途中からマネジャーとキョードー東京のスタッフが同席する。

   男女の仲だという噂について、長渕は「完全否定」だ。冨永とは、彼女の母親を含めた家族ぐるみの付き合いで、子育てやら何やらの相談にのっていると話す。「ただね、いろいろ言われているのはね、こちらも覚悟してますからね。何言われても、色目で見られてもいいんだけど、ないことはないんですよ」(長渕)

   週刊文春にいわせれば、<額に汗を浮かべながら熱弁1時間>だったそうだ。もちろんそんないい分をまるごと信じる週刊文春ではない。これまでも、女優の清水美沙や国生さゆりとの不倫愛を報じられている。だが、いずれのときも妻・志穂美は寛大な態度で受け流してきたという。

   その志穂美は右脚の前十字靱帯断裂などで入院しており不在なのだという。妻の援護なしにこの苦境を乗り切れるのか。すると長渕インタビューの数日後に、志穂美が長渕の所属事務所社長として、妻として話したいと、週刊文春に電話をかけてきたそうである。

   冨永さんは長渕さんの彼女ではないのかと問う週刊文春に、フッフッフッと笑って受け流す。この女房ただものではない。かくしてこの三角関係はいまのところ『藪の中』ではあるが、妻の堪忍袋が切れたときは大噴火しそうな予感はある。

「週刊新潮」上村遼太君殺害18歳少年の実名・写真報道の評価・・・少年法は時代遅れか

   先週書いたように、週刊新潮が遼太君殺しの容疑で逮捕された18歳のAの実名を顔写真とともに掲載した。Aの弱い者には徹底的に残虐になる性格や、酒を飲むと「人を殺してぇ」と嘯くことは、週刊文春も週刊新潮もかなり綿密に取材して書いている。

   そして、週刊文春も少年法で報道機関に実名や顔写真を掲載することを禁じた同法61条は、もはや時代遅れだと批判している。なぜならネット上ではAを含めた加害少年らの氏名、顔写真、住所まで出ているし、少年法で守られることを「認知」して犯行に及ぶケースもあるのだから、時代に即した法改正が必要だとしている。だが、週刊文春は今回の事件では実名報道には踏み切っていない。

   週刊新潮はこの問題を3ページにわたって特集し、実名と顔写真を掲載した理由を述べている。週刊新潮はこれまでもいくつかの少年の凶悪事件で実名を公表してきた。それは「犯人の属性を含め全容を読者に知ってもらうべきだと考えたからだ」と主張する。

   筑波大学の土本武司名誉教授は少年法は戦後の遺物だとこう話す。<「現在の少年法が出来たのは昭和23年のこと。空腹に負けて店頭からパンを万引きして飢えをしのいでいたような非行少年を想定していたのです。(中略)少年法は過去15年に4回の改正を経ていますが、61条に関しては手つかずのまま。その結果『保護』という点だけが引きずられ過保護になっているのが現状なのです」>

   また、98年に起こった「堺市通り魔殺傷事件」を報じた『新潮45』(筆者は高山文彦氏)が実名を公表して犯人から訴えられたが、控訴審で勝訴し、「本件事件の重要性にかんがみるならば、当該写真を掲載したことをもって、その表現内容・方法が不当なものであったとまではいえず」という判決が出ているのだから、批判が怖くて思考停止している大手メディアが週刊新潮を批判する資格はないと、元共同通信記者の浅野健一氏にいわせている。

   週刊文春で常盤大学大学院の諸澤英道教授は<「今回の事件も、これまでの判例から考えると、懲役五年から十年の不定期刑という、罪の重さに比べれば軽い処分になる可能性が高い」>と見ている。<「20歳の青年が万引きで実名報道される一方で、19歳の凶悪犯が匿名になる。この論理矛盾を説明できる社はあるでしょうか」(浅野氏)>

   この問題は軽々に結論を出すのではなく、少年法の主旨は尊重しながら、ネットの問題も含めてどう変えたらいいのかを議論すべきであろう。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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