板東三津五郎「みっともなかった・・・」恥じていた近藤サトと「たった1年半で離婚」

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   神奈川県警は上村遼太君(13)殺害容疑で10代の少年3人の逮捕状を取り、きのう26日(2015年2月)に当欄で触れたリーダー格の18歳の高校生を逮捕した。一部の週刊誌は、あれほど残酷な殺し方は、イスラム国のやり方を真似たのではないかという見方が警察にあると報じている。『週刊新潮』か『週刊文春』は18歳の少年の実名報道に踏み切るかもしれない。

   それにしても、いま、若い連中は他人の痛みに対して、どうしてこうも鈍感でいられるのだろう。私は体罰容認派ではないが、私の子どもの頃は教師に殴られ、野球部では先輩からバットで尻を叩かれ、家に帰れば短気なオヤジに問答無用で殴られた。

   痛みの分かる人間は他人を痛めないなどというつもりはないが、昔の不良たちの喧嘩には、これ以上はやめとけという暗黙のルールがあったような気がする。君に忠、親に孝も大事だが、子どもの頃に身体の痛みを分からせ、なぜ人を殺してはいけないのかを教えることこそ喫緊の課題だと思うのだが、どうしたらいいのか、私にいい考えは浮かばない。

尾上菊五郎の粋な弔辞「お城だけでなく、ホステス嬢やキャバクラ嬢も好きでした」

   私は歌舞伎にはとんと疎いが、坂東三津五郎の名前は知っている。映画やテレビでも活躍し、3万人ともいわれる日本舞踊「坂東流」の家元でもあった。膵臓がんのため2月21日に59歳の若さで亡くなり、独身だったが、週刊新潮は三津五郎の2度の結婚・離婚について書いている。

   九代目坂東三津五郎の長男として生まれた彼は、6歳で初舞台を踏み、五代目板東八十助を襲名して、1983年に宝塚の男役・寿ひずると結婚して1男2女をもうける。彼はなかなかの艶福家だったようだ。尾上菊五郎が次のような粋な弔辞を読んでいる。「『姫路城が好きだ』『彦根城が好きだ』と言っておりましたが、ホステス嬢やキャバクラ嬢も好きでした。どうか、そちらの世界に行ったら、ネオン街で、いい店を探しておいてください」

   96年には当時のフジテレビの看板アナウンサーだった近藤サトとの不倫が発覚して寿とは離婚。98年に近藤と結婚するのだが「略奪婚」と騒がれた。その近藤ともわずか1年7か月で離婚してしまう。週刊新潮は「恋多き女」近藤を悪玉女優などと呼んでいるが、ここは省略。生前、三津五郎はこう語っていたと友人はいっている。

<「近藤さんとの生活が1年半しか続かなかったことを、本人は『みっともない』と恥じていました。家にはお手伝いさんがいて、2人の娘さんもよく立ち寄っていたので生活の不自由はなかったでしょうが、『自宅で飲んでボーッとしていることが多いよ』なんてこぼしていましたね」>

   派手に見える梨園も、中に入れば古いしきたりや厳しい稽古の連続であろう。そうした覚悟のない女性と結婚した身の不運を、ひとり酒を飲みながら振り返っていたのだろうか。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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