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「高倉健」病床でもガーリックチップたっぷりのフィレステーキ!最後の言葉は「慌てるな」

   『文藝春秋』は「永久保存版 高倉健 一九五六―二〇一四」を出したがが、その中に健さんの養女になった小田貴(50)さんの文章を載せている。『週刊文春』がその抜粋を掲載している。18年間も健さんのそばにいて最期を看取った貴さんの言葉を紹介してみよう。 悪性リンパ腫が判明し、昨年4月から100日間の入院を余儀なくされたときだ。

<高倉は担当医に「先生、何もしないとどうなるんでしょうか?」と、冷静に問いました。教授が答えて下さいました。「死にます」。それまで帰ろう、帰ろうと入院を嫌がった高倉でしたが、「人間いずれは死ぬんだけど、まだ、死ぬわけにはいかないんですよね。仕事があるんです。じゃ、お願いします」とそれまでの抵抗が嘘のようにあっさり治療を承諾したので、皆、拍子抜けしました>

   入院中は、<夕食の献立として最も喜んだのは、大量のガーリックチップを添えたフィレステーキ。グリーンサラダとフルーツとともに満足の笑顔が戻る時でした>

   病状が急変したのは11月9日のことだった。<苦しい呼吸の中、一生懸命言葉を発し続けてくれました。最後に聞きとれたのは、「慌てるな、慌てるな」でした>

   目を閉じた顔は安らかだったという。<2014年11月10日午前3時49分。担当医による告知。モルヒネが使われることなく、高倉は自分の力で生き切り旅立って参りました>

   先日、週刊現代に載っていた健さんが好きだったというアップルパイを注文して食べてみた。林檎の甘みを生かした上品な味だった。もっと健さんのことを知りたい。そう思った。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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