斎藤仁「リオ五輪で日本柔道再建見届けたかった」・・・山下泰裕と最後に無言の握手

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   初の五輪連覇を果たし、全日本柔道連盟の強化委員長として不祥事からの再建に務めていた斎藤仁氏が20日未明(2015年1月)、ガン性胸膜炎のため亡くなった。肝内胆管ガンのため約1年前から療養中だった。まだ54歳の若さ。葬儀は近親者で行い、母校の国士舘大が後日お別れ会を開く予定という。

「エベレストには登ったが、まだ富士山に登れない」

   斎藤氏は3学年上の山下泰裕・全柔連副会長(57)とともに日本の柔道界をリードしてきた。2人は終生のライバルで、84年のロス五輪では斎藤氏が95キロ超級で、山下氏が無差別級で金メダルを獲得した。山下氏が引退したあとのソウル五輪では、日本勢が相次いで敗退するなか、唯一の金メダルを守った。

   全日本での山下氏との対決は「世界一決定戦」として常に注目されたが、ついに1度も勝てなかった。「エベレストには登ったが、まだ富士山に登れない」といっていたという。

   引退後は指導者として2人はまさに二人三脚だった。山下氏が代表監督だったシドニー五輪では斎藤氏がコーチ。アテネ五輪では代表監督としてメダルラッシュを生み、引き続き北京五輪も率いた。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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