「石井光三オフィス」の石井光三会長が6日(2015年1月)に胆管がんのため亡くなった。83歳だった。もともとは戦後すぐの東横映画京都(現東映)のニューフェースだった。のちに松竹芸能に入り、83年に独立した。ラサール石井や磯野貴理子らを発掘する一方で、「オレたちひょうきん族」などに出演して、豪快な笑顔をみせた。
テレビ局スタッフ部屋に押しかけ勝手にスケジュール記入
コント赤信号のラサール石井(59)は「『君らおもろいなぁ~』っていって、なんだこのおじさんはと。まさかマネージャー、社長になるとは思わないので、うるさい人だなと思ってたら、それからずっと付き合って。あっという間にスケジュールが真っ黒になりましてね」と話す。
テレビ局のスタッフの部屋に「どうも、すんまへ~ん」と入ってきて、「来月どないしましょ、どないしましょ」と話しかけ、「好きにしてください」「ほなここに書いときますわ」とスケジュールを勝手に入れていったという。
ラサールは「石井さんがいなかったら、私たち(コント赤信号)はいまここにはないですね。(石井会長を含めた)4人で赤信号だってずっと言っていて、ギャラも4等分してたんです」という。
予算のない制作会社には「安いギャラで出演OK」
キャスターのテリー伊藤は「何度も助けられましたね」という。「制作会社にいて、予算も少ないし、ムダ遣いもしてお金がなくなって光三さんとこへ電話して、『お金がないんです』というと、『よしゃわかった』とホントに安いギャラで出てもらったことが何度もあります。なんか寂しいですね」
司会の加藤浩次「キャラクターは豪快な感じですが、敏腕マネージャーだったんですか」
テリー「そうですよ。『うち使ってやあ』と、最高の人だった」
葬儀・告別式は近親者のみですでに済ませており、後日お別れの会が開く予定という。またひとり、古き良きテレビ人がいなくなった。