<「男女の仲になったデートの日の別れ際、彼が、『これからは僕のことを剛ちゃんと呼んでください。本名は小田剛一ですから』と言ったんです。二人の仲を縮めたかったのか、それとも『俳優・高倉健』ではなく、一人の男として私と付き合いたかったのか、それはわかりません」>
女優・児島美ゆきが高倉健とつきあっていた日々を告白している『週刊現代』を、MAISON TROISGROSのインスタントコーヒーを飲みながら読み始めた。とうとう出てきたという気持ちと、なぜ児島なんだという気持ちがないまぜになる。健さんだったら大原麗子か吉永小百合との「忍ぶ恋」が似合うのに......。そういえば歌手の石野真子を熱心に口説き落としたと書いた週刊誌もあった。女性の好みは人それぞれ。健さんはこういうタイプが好きなのかもしれない。
当時、健さん52歳、児島31歳。児島がテレビドラマ「北の国から」で富良野のスナックのホステスを演じたのを健さんが見て、田中邦衛を介して「会いたい」と伝えてきたという。日に何度も電話があり、「うちにコーヒーを飲みに来ませんか」と誘われ、彼のマンションへ行く。結ばれたのは2度目に訪れたときだった。
<「寝室の大きなダブルベッドで。彼は体は筋骨隆々でしたが、やさしい人でした」>
彼女は彼のためにステーキや生姜焼き、肉じゃがなどをつくる。黙々と食べる健さん。終わるといつの間にか食器を洗ってくれていた。
<「とにかく、時間のあるときには、映画を観るか(マンションに小さな映写室があった=筆者注)、腹筋や腕立て伏せをしているか、あとは洋服の整理(笑)。セータを畳んだり、シャツなどを並べたり、整理整頓が趣味のような人でした」>
健さんは警察無線や消防無線を聞くのが好きだったという。児島が茶目っ気たっぷりにヌードダンサーの真似をすると、顔をほころばせ手を叩いて子どもみたいに喜んだそうだ。
<「ある日、彼に膝枕をしてあげたら、彼はふいに、
『幸せだなぁ。こんなに幸せでいいのかなぁ......』
驚いて彼の顔を見ると、目に涙まで浮かべていたんです。膝枕ぐらいで泣くなんて、と驚くと同時に、『普通の幸せを、こんなに恋しいほど求めている人なんだ』と、私まで切なくなって......」>
スーパーへ一緒に行って、児島が買い物袋を抱えてクルマまで戻ってくると、こういったそうだ。「剛ちゃんはこういうことがしたかったんだ」
それほどまでに彼の生活は孤独でストイックだったと児島は話している。そんな生活が300日続いた。だが二人のことが芸能誌で報じられ、健さんから「しばらく会えない」といわれ、世間体が大事で私を捨てたと怒った児島は彼の許から去る。そして30年が経ち、「あなたの気持ちをわかってあげられなかった」という詫び状を送った直後、高倉健の悲報が届く。
児島は<「人間・小田剛一も、本当に優しく、温かい人だったことを知ってほしい。面白くて気取らず、人間くさい、愛すべき人でした」>と語る。こうした健さんとの思い出をもつ女性は他にもいるはずだから、名乗り出てほしい。人間・高倉健をもっともっと知りたくなってきた。
酒井法子43歳まだまだ美味しそうな肢体!ヘア・ヌード写真集出ないかなあ
いよいよ新年合併号の季節だ。週刊ポスト450円、週刊現代430円、週刊朝日は410円だがお得感はない。お得感でいえば週刊ポストの「ポルノスター10人と行く官能の『湯けむり紀行』DVD48分」は、コタツに入ってミカンでも食べながら見るのにちょうどいいかもしれない。
週刊現代、週刊ポストのセクシーグラビアはどうか。週刊現代のW袋とじは「池上季実子のすべて」と「美しい女性器」だが、やや迫力不足。
意外に週刊ポストの「酒井法子」がいい。43歳だが、クスリ漬けだった身体はまだまだ美味しそうだ。たしかに目力も強く、こんな瞳で見つめられたらクラクラしてしまうかもしれない。年齢が醸し出す色香は小娘には出せないものだ。2015年は彼女のヘア・ヌード写真集をどこかで出さないかな。どうですか「ヘアの商人」といわれた高須基仁さん、一肌脱いでみては。
たけしの「ヒンシュク大賞」やっぱりこの二人...オボちゃんは笑えなくなっちゃったよ
お次は週刊ポスト恒例のたけしの「ヒンシュク大賞」。今年もSTAP細胞や佐村河内守騒動、号泣県議などヒンシュクには事欠かない。まずは週刊文春に49歳女性と不倫、100億円払って離婚かと書かれたたけしの自虐ネタからと思ったら、編集部側がパス。やはりまずいと思ったのであろう。
他人になりすまして脅迫メールを送った「パソコン遠隔操作事件」の片山祐輔被告については、「たいした知能犯かと思いきや、やっぱりあの顔じゃムリだったな(笑い)。最後にマヌケがバレちゃったよ。捜査員に見張られてることぐらい小学生だってわかるだろって」
号泣野々村竜太郎県議には、「大泣き会見は今見ても笑っちゃう。芸人を超えたね。最近の若手は凝った笑いを狙うヤツが多いけど、こういうわかりやすい笑いが実は一番強いんだよ」
大韓航空機の会長令嬢がファーストクラスなのにナッツが袋のまま出されたことに激怒して出発を遅らせた問題については、「この事件、『ナッツ・リターン』って呼ばれてるんだろ? オイラの映画『キッズ・リターン』の丸パクリじゃないか。使用料払えっての」
「現代のベートーベン」佐村河内騒動については、「『今度は自分で書きました』って新曲でも出したら話題になるのに。交響曲『HIROSIMA』ならぬ『YOKOSIMA』なんちゃってさ。儲かるぞ~」
錦織圭の大活躍でそれにあやかって売れっ子の松岡修造が出した日めくりカレンダー「まいにち、修造!」が売れていることについては、「それならオイラも出してやろうか。『芸人格言カレンダー』なんちゃってさ。『オネエチャンと遊んだっていいじゃない、スケベだもの たけし』『家にカネ入れなくてもいいじゃない、芸人だもの たけし』とか」
最後に登場したSTAP細胞の小保方晴子については、「真打ち登場か。だけど、佐村河内や野々村と違って、なんだかこの人のことを笑いにくくなっちゃったんだよな~。実際に人生狂わされちゃった人もいるしね。あの『STAP細胞はありま~す!』って会見の時のオネエチャンの目を見てると、なんだか『新興宗教にハマった人』みたいに思えてくるんだよな」
2014年のグランプリは佐村河内と野々村の両巨匠に決定!
「この2人はヒンシュク界の風神・雷神、ウソつき界の竜虎と呼ぶにふさわしいよ。2人のコンビで来年の『THE・MSNZAI』に出てきてくれないかな~。文句なしの優勝候補だぞ」
「安倍暴走」食い止められるのは小泉進次郎だけ!?選挙後も舌鋒鋭くアベノミクス批判
先週も触れたが、自民党の大勝で当分の間は総選挙はなさそうだ。一部には安倍首相が憲法改正をやりたいから、再来年の7月の衆参同日選挙を仕掛けてくるとの見方もあるが、それはないと私は思う。なぜなら、自民党内で安倍首相の強引なやり方に批判が出始めているからである。来年9月の総裁選で安倍首相がすんなり選ばれるかどうか予断を許さない。
反安倍の筆頭が若手のホープ小泉進次郎だと週刊ポストが書いている。自民党が勝利はしたが、それは多くが棄権したからで、支持した数はわずかだと難じている。
<自民党の小選挙区の総得票は約2546万票だったが、選挙協力した公明党の基礎票(比例代表の731万票)を差し引くと1815万票にとどまる。自民党の比例得票(1766万票)とほぼ一致し、これが本当の「自民党票」と見ていい。全有権者のわずか18%だ>
沈黙した多くの有権者は安倍政権のやり方をじっと見ている。そしてこれ以上安倍首相が勝手放題やるなら、小泉進次郎が党内から動き出すというのだ。総選挙後も「消費税を上げる2年半後までに経済を立て直さなければすべて自民党の責任。それを考えれば笑っている場合ではないと苦言を呈している。呈している相手は安倍首相に決まっている。
選挙中も安倍首相に対して厳しい発言を多くしていた。「アベノミクスの先を考えなければいけない。人口減でも活力と豊かさを引き継げる国づくりには、どの国もやったことがない成長モデルが必要だ。社会保障も若者にツケを遺さないようにしなければいけない」
アベノミクスなどはじめから「幻想」だと週刊ポストは切って捨てる。
被災復興担当政務次官の進次郎は中央公論14年7月号でこう語っている。<戦後と「災後」の最大の違いは、人口増加・経済成長を前提にできるか否か。それができない中で日本がこれからも繁栄を築いていこうとしたら、国全体のモデルチェンジが避けられません>
かつての成功体験を前提とするアベノミクスでは日本は立て直せないといっていると、週刊ポストは読む。
民主党は海江田代表が落選し、1月に代表選挙が行われる。もしここで細野豪志が勝てば、進次郎対細野という次の世代の対立軸ができ、旧世代の安倍の政治が終わると週刊ポストはいう。そうことが簡単に進むとは思われないが、進次郎への期待が大きいことはわかる。だが、まだ33歳である。あと10年は雑巾がけが必要ではないのか。
進次郎は江戸中期の歌舞伎役者である仲村仲蔵を模範とするそうだ。梨園の外から入り、先輩たちに疎まれるが、不屈の精神で芸を磨き研鑽を重ね、端役から人気役者にのし上がった大名跡で、落語にもなっている。若いにしては渋い好みだが、そこがこの男のいいところであろう。安倍首相の危険な暴走をチェックできるのは、アメリカか天皇、それに小泉進次郎しかいないのかもしれない。期待は大である。
次々出てくる百田尚樹「殉愛」と食い違い証言...「長女に会いに上海まで行った」
やしきたかじんの遺産を巡るごたごたはいささか食傷気味だが、もう少しお付き合いいただきたい。先週の『女性自身』もやっていたが、たかじんが1993年に結婚して02年に離婚した2度目の奥さんについて、百田の「殉愛」ではたかじんに「ヨリを戻したいと言うてきた」が、彼が復縁なんかありえへんとはっきりいったという箇所がある。
だが、百田はこの前妻を1度も取材しておらず、親族の一人は「事実と異なる」とこう訴えている。<「話は逆で、たかじんさんのほうから前妻に『やり直してほしい』と何度も言ってきていた。食道がんとわかってからより熱心になりましたが、その頃、前妻はすでに再婚。それでも『僕が死ぬまでだけでも一緒にいてくれ。今の夫と籍抜いてくれ。財産はお前に全部やりたい』と、私もたかじんさんに『あいつしか看取ってくれる人はおらん。なんとかしてくれ』と説得を頼まれた。13年8月頃までそういう連絡があったが、前妻には新しい家庭もあり、断ったんです」>
13年8月といえばたかじんはがんの再発後で、その10月にさくら氏と結婚して3か月後に亡くなっている。維新の党の衆議院議員でたかじんのホームドクターのような存在だったという伊東信久氏は、さくら側がたかじんと実の娘は不仲だったといっていることに対して、たかじんは娘のことをとても気にかけ心配していたと話している。
たかじんの弟子、打越元久氏もこう証言している。<「長女は00年頃から数年間、中国・上海で暮らしていたのですが、たかじん氏が心配して上海の家まで様子を見に行ったことがありました。『娘を連れ戻そうと思っていたが、中国語がめちゃめちゃうまくなっていたので感心し、頑張れよ、と言い、帰ってきた』と話していました」>
次々に「殉愛」に書かれたこととは食い違う証言が出てくる。さくら側のいい分だけで書かれた「かつてない純愛ノンフィクション」は、いま厳しい批判に晒されている。