衆議院選が終わった。700億円ともいわれる巨費を投じて自民党と公明党がほぼ選挙前の議席を確保しただけである。安倍首相はテレビ東京の池上彰の質問に答えて、「憲法改正をやる」と明言した。有権者の2割程度しか支持していない政権がやりたい放題できるというこの国のおかしさにウンザリする。
各誌が選挙特集を組んでいるが、選挙前から予想されたとおりの結果なので読むべきものはない。それとは少し角度が違う記事をいくつか紹介しよう。『ニューズウィーク日本版』が「首脳の成績表」というのをやっている。そこでは安倍についてこう書かれている。
<就任2年で歴代首相トップとなる50ヵ国を訪問した分、内政では粗さが際立つ。経済が期待通りいかない故か、国会での安倍の表情は冴えず、時には苛立ちを隠さない。
集団的自衛権の行使容認や特定秘密保護法は、日米同盟を中心とした日本の安全保障には欠かせない決断だった。しかし有権者に十分に説明したとは言えない。そうした手法が国内では「独裁者」という安倍の国際的な評判とはおよそかけ離れたイメージを生み出している。
安倍はベストセラーとなった著書「美しい国へ」の中で、政治家を志した理由は「私がこうありたいと願う国をつくるため」と述べている。自分なりに熟慮し、間違っていないという信念を抱いたら断固前進する。それが安倍の好むスタイルだ。
実際に政権発足以来、近年の「決められない政治」からの脱却に成功。その過程で日銀や内閣法制局、野党、左派勢力、財務省などの敵を認定し、容赦ない姿勢を示してきたことを有権者は評価するが、説明なき「自分なりの熟慮」は独善の危うさをはらむ。総選挙の結果は、そうした国民の大きな期待と少しの戸惑いを反映した「成績表」なのだろう>
意外にもそこそこ高い評価で、外交力では低い評価をされたプーチンやオバマ、習近平を凌いでいる。
「不況下の株高・物価上昇」いい思いは大企業経営者だけ
安倍はアベノミクスが評価されたと胸を張るが、どの週刊誌を見てもお先真っ暗だと、評価はさんざんである。『週刊ポスト』は「2015年の値上げカレンダー」を掲載しているが、軒並み値上げラッシュである。
<怒涛の値上げラッシュも、それを上回る賃金上昇があればを賄えるかもしれない。しかし、厚生労働省の毎月勤労統計調査では、物価上昇の伸びを差し引いた実質賃金指数が昨年7月以来16か月連続でマイナスが続いている。今起きているのは給料が上がらないのにモノの値段だけが上がっていく「悪いインフレ」に他ならず、個人で自己防衛などしようがない>(週刊ポスト)
『週刊現代』は「1ドル=160円を覚悟せよ」と書いている。経営コンサルタントの鈴木貴博氏がこう話す。<「円安で海外企業が日本に工場作る流れは加速するだろうが、研究開発拠点ではなく、所詮は安値の製品を作る単純生産ラインがほとんどになる。日本人の雇用は増えるが、安価な賃金で単純労働者として従事する人が増えるだけです」>
要するに一部の大企業は儲かるが、その儲けは海外に投資され、国内では外国資本が参入して利益を得ていく。さらに、少数の金持ちは資産を円からドルに替えて資産防衛を図り、これがますます円安を加速させていく。円安はこうして日本の資産を急速に海外に流出させていく結果、このようになると金融・経済評論家の津田栄氏は指摘する。
<「大多数の日本人は、より貧しくなっていく。国民健康保険料を支払えない人が増えるので、健康保険料が値上げされ、日本が誇ってきた国民皆保険も崩壊するかもしれない。その上、電気やガスの料金も上がっていく。年金生活者にとっては、年金減額と物価高のダブルパンチとなる。弱い者はさらに弱くなるという悪循環は止まらない。日本はどんどん縮小していく」>
株価の2万円超えもあるかもしれないが、それが国民全体を幸福にすることはないと経営評論家の山元博孝氏がいう。<「株価が上がり、大企業は好業績、財政も問題なしとなればうれしい悲鳴が聞こえてきそうですが、多くの国民は浮かれてなんかはいられません。いくら株が上がっても生活はまったくよくならないからです。
いわゆる不況の株高ということですが、こうした現象が起きる背景には、日本企業の経営陣の行動が影響しているという点はあまり指摘されていません。
円安で利益が膨れ上がるのであれば、それを従業員の給与や国内景気のための設備投資に振り向けてもいいはずなのに、最近の経営陣は自社株買いと配当に回す傾向にある。なぜかといえば、企業役員は役員報酬としてストックオプション(決められた価格で自社株を購入する権利)というものが与えられており、株価が上がるほど受け取れる報酬が増える仕組みになっている。そのため、「まずは株価アップ」というのが優先されてしまうのです。
安倍総理が国民生活を置き去りにして内閣支持率と連動する株価を上げようとするように、従業員の生活よりも自身の報酬に直結する株高政策に前のめりになる経営者が増えているということ。そうした意味でも、この株高は異常なのです。(中略)
安倍政権は政治を「市場化」してしまった。別の言い方をすれば政治家が本来すべき政策を捨てて、政治を株式マーケットに委ねるという大博打に走っている。総理自身もそのおかしさを理解してるでしょうが、アベノミクスの旗を降ろせず、この道を突き進んでいくしかなくなっています。
しかし、そんな株高は明らかにバブルであって、いつかバブルは終わるというのが歴史の必然です。(中略)
その瞬間、世界中の投資家が一斉にリスクオフ(売り)に入り、日本株からも歴史的な逃避を始める。見たこともないような暴落劇の始まりであり、それがこの異常な株バブルの底が抜ける時なのです」>
安倍首相「連夜の美食三昧」12万円の中華料理、一人5万円のステーキ...
安倍首相は庶民の生活悪化など意に介さず、毎晩美食に明け暮れていると『週刊新潮』が皮肉っている。安倍首相の好物は焼肉らしいが、人と会うときはそれなりの店を選ぶらしい。平河町にあるふぐ料理の「下関春帆楼」では毎日新聞の朝比奈豊社長や共同通信の福山正喜社長と卓を囲んでいる。夜のコースは8000円から。これは安倍の政治資金管理団体「普和会」の報告書から見つけ出したそうだが、払いは安倍首相?
芝浦にある「牡丹」は新鮮な魚を出す老舗だそうだが、「それほど美味しい料理を出せるはずがありません。総理が行くような店ではないと思います」(料理評論家の友里征耶氏)と手厳しい指摘もある。
銀座の中華料理店「飛雁閣」は川崎隆生西日本新聞社長と食事をしているが、ここは絶品だが、干し鮑のステーキが含まれる最上級のフルコースが12万円だという。安倍首相と麻生財務相が行ったのが帝国ホテル内にあるフレンチ「レ セゾン」。芝公園の「クレッセント」も行くらしい。
このところはイタリアンもよく使う。赤坂の「パスタテーブル イルカシータ」はカジュアルな店だが、政治家が使う店としてはどうかという評価がある。「キャンティ飯倉片町本店」でも政治家たちと会食している。古くからあるイタリアン風洋食屋だが、夜のコースは1万5000円からだ。
浅草の鳥料理専門店「野鳥 鷹匠 壽」と銀座のステーキ「かわむら」は最上の店といわれるそうだが、ステーキ屋のほうは一人5万円以上だというから庶民の行ける店ではない。
本当は安倍さんは焼肉やラーメンが好きだそうだが、なかなかそうもいかないようだ。このメニューを見る限り持病の悪化はないようだが、この病はストレスがたまると再発するらしい。来年も美食三昧できるか、入院して流動食になるかはアベノミクス如何にかかっている。
林真理子の叱咤が効いた?百田尚樹騒動に週刊誌が続々参入
林真理子が火をつけた形になったやしきたかじんの妻・さくらと、彼女のことを書いた「殉愛」の作者・百田尚樹『騒動』だが、これがきっかけになって各誌が報じ始めた。
先週、百田が『週刊文春』で林真理子に答える形で「返事」を書いたことに、林はこう答えている。<百田直樹さま お忙しいところにもかかわらず、わざわざお返事をいただき恐縮しています。(中略)ただ私のエッセイを読んでいただけばわかると思いますが、あの文章は百田さんやご著書を非難するものではありません。ベストセラー作家に、いささかの瑕疵もあってはならないと、自主規制する週刊誌に対して憤ったのです。(中略)今回に限って、週刊誌がいっせいに沈黙をしているのは、おかしくないですかとジャーナリズムのあり方について私は問うているのです。ですからこのお答えは、週刊文春の編集長からいただきたかったです>
鋭い突っ込み。さあ週刊文春編集長はどうするのか。
「たかじん事件」問われているのは「ノンフィクションとは何か?」
週刊文春は百田側で、週刊新潮はどちらかというとさくら・百田寄りで、新聞社系が2人に批判的なのがおもしろい。「永遠のゼロ」や「海賊とよばれた男」を出している講談社の『フライデー』は百田側にどっぷり。『週刊現代』は今週もこの問題には触れていない。上から指示されているのか、自主規制か。今週は『女性自身』が参入したが、こちらは出版社系には珍しく百田側に批判的な記事である。
『サンデー毎日』がたかじんが遺言でいっていた一般社団法人「OSAKAあかるクラブ」への寄付の件でさくらとトラブっていると報じ、百田のインタビューを掲載している。サンデー毎日によると、さくらが遺言に反して「遺贈放棄してほしい」とクラブ側に申し入れ、自分で運営するといい出していたというのだ。
クラブ関係者が「さくらさん側は『遺言書はたかじん氏の真意ではない』」とまで言明したという。どういうことなのか。クラブ側は条件付きで放棄を決めたが、「2億円の運用状況をクラブ側に開示してほしい」という条件にさくら側が納得せず、放棄しなくても結構だが、メモリアルでたかじんの名前を使わないでほしいと通告してきたというのだ。
長女側は「さくらさんが遺産から(自分の持ち分と主張して)1億8000万円を持ち出したため、寄付しようにも資金がない」と指摘している。<「さらに仰天したのは、10月の折衝時に百田氏と在阪テレビ関係者がさくらさんと同席したのです。百田氏は作家である前に、実際には遺産に絡んだ利害関係者だったと受け止められても仕方のない振る舞いではないでしょうか」(あかるクラブ関係者)>
百田はインタビューにこう答えている。<「今思えば(自業自得という)文言のメールを送ったのかどうか、長女に事実確認したほうがよかったかなとは思いますけど......。(中略)
もし(さくらさんが=筆者注)『遺産目当て』なら、寄付分もなくして全部手に入れようとするはずです。『無償の愛』と言ったら、お金をもらってはいけないのでしょうか? 結婚歴があったからいけないのでしょうか? 2年間献身的に看護し、罪を犯したわけでもないのに、さくらさんは『極悪人』呼ばわりされています。長女も遺留分は相続できるでしょう。バッシングは本当に不思議です。(中略)
裁判になったら証拠は全部出します。長女は『銭ゲバ』、K氏(元たかじんの秘書=筆者注)は『嘘つき』。きっと、びっくりしますよ」>
この「たかじん事件」といってもいい騒動は、遺産を巡る実の娘と継母との争いという側面ばかりが強調されているが、出版社にとって真剣に考えなくてはいけない「ノンフィクションとは何か」という根源的で重要な問題がある。
ノンフィクションはサッカーのようなものだとはノンフィクション作家・本田靖春の名言だが、手足と想像力を存分に使える小説とは違うのである。一方的な人間のいい分だけを聞いて、批判されている相手のいい分を聞かないのでは、そもそもノンフィクションと名乗る資格がないはずだ。
そこのところをどう考えるのか。出版社系週刊誌の編集者はそれに答える責任がある。そもそも最近流行のノンフィクション・ノベルなどという中途半端なものが成立するはずがない。編集者の劣化の象徴だと思うが、これを機にノンフィクションについての論争が起きてもらいたと思う。