夫(チョ・ジェヒョン)の浮気を確信した妻(イ・ウヌ)は、夫の性器を切断しようとするが失敗に終わる。夫への怒りは15歳の息子(ソ・ヨンジュ)に向かい性器を切り落としてしまう。上流階級の一家に起きた衝撃的な事件と破滅に向かっていく一家の姿を韓国の鬼才キム・ギドク監督が描いた。
内容があまりに過激で、韓国では上映を制限され、日本でもR18+の指定を受けた。閑静な住宅街でワインを狂ったように飲んでいる妻の冒頭の姿から、狂気が画面に溢れているが、過激度はその後もぐんぐん上昇する。
笑って、泣いて、叫ぶだけ...台詞を捨てたストーリー
前作「嘆きのピエタ」の流暢さとはうって変わり、この映画で台詞の概念は存在せず、登場人物たちの言葉から物語は展開されない。笑って、泣いて、叫ぶだけという、まるでパニックホラーのようなテイストとなっている。嘆きのピエタで「分かりやすいもの」を撮った自分に対する反発なのか、不自然なほど説明を排除し、グロテスクを追究するやりかたは、「これがキム・ギドク」だと言わんばかりの凄みがある。これほど好き勝手に映画を撮れる監督は世界中でも限られている。
性器を切断された「男」、切断する「女」は、メビウスの輪のようによじれながらもひとつへ繋がっていく。物語は終わりから作られているように始まりと繋がっていく。「性」というものを「性器」側から捉え、性に過敏になればなるほど本来の性別が持つ違いから遠ざかるという男女平等論に噛みついている一面もあり、性の違いの突き抜けた先を描いているようにも見える。
見終わって気づく事実に愕然
筆者が感嘆したのは、性器を失った息子が見出したマスターベーションの方法の描写だ。ネタばれになってしまうので細部には触れないが、「盲目だが不自由じゃない。盲目でいいんだ、魂が見えるから」というレイ・チャールズの名言を想起させるこのシーンは、失ったこからこそ得られる想像力―不自由の中にある自由を見事に捉えており、この映画のテーマを探るうえで極めて重要なシーンだろう。また、この難解なシーンに挑んだ15歳の息子を演じたソ・ヨンジュ(彼も実際の15歳)という役者に拍手を送りたい。
トンデモナイ驚きも隠されている。見終わった後に唖然とするような事実を知らされるのだ。男と女、痛みと快感、現実と虚構、そのどれもが表裏一体となって押し寄せてくるテーマを、物理的に知らせる「仕掛け」にあなたも気付くだろう。いや、見終わっていても気付かない方もいるかもしれない。それほど巧妙な仕掛けとなっている。チラシをよく見て頂きたい。もうひとつヒントを言うと、女は恐いということだ。
丸輪 太郎
おススメ度☆☆☆☆